死闘

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通話を終えたガエルの背後でアドは立ちあがっていた。両目から夥しく赤い液体を流している。呼吸は荒く、ふらついていた。 「もう終わりだよアド君。もはや君はガラクタだ。おとなしく命乞いでもしたらどうだね。もっとも、君に命なんてありはしないが」ガエルは言った。 「俺はレアの未来が心配だ。それが、思考システムの仕業でもいい。お前は彼女を殺すだろう。お前には死んでもらわないと、俺は安心して死ねないんだ」彼は正気に戻っていた。「視力を失ったくらいで諦めるような覚悟で、ここにいねえんだよ」  アドにとってこの戦いは自身の存在意義を確かめるだけでなく、彼女を守るためでもあった。たとえ別人の人生だとしても、彼は妹を失った悲しみを知っている。もう二度と同じ過ちを繰りかえすなと、思考システムが言う。 「守ると設定された者のために戦うガラクタか。泣かせるねえ。だが、もう君には飽きたよ。次はレアちゃんと踊る。やるなら、とっとと殺してみろ」  ガエルは銃を引きぬいた。「さもなくばお前も、あの女も殺してやる」 巻き上がる炎とスプリンクラーの水が、熾烈な争いを繰り広げるロビー内で、一発の銃声が轟く――。 ガエルの片耳が、銃弾によって吹きとばされていた。アンドロイドが手にしたアハトから硝煙がのぼる。命中するはずのない銃弾が、届くことのない殺意が、たしかにASP総隊長を傷つけた。 彼の殺害禁止プログラムにはノイズが混じっていた。彼はスモークグレネードを足元に落とす。 「プログラムに抵抗したのか。面白い。本気で殺してやる」  ガエルが煙ごしに銃を連射する。その返事は手榴弾だった。 爆発が煙をかき消したのち、その場に二人はいない。互いに距離をとっていた。 柱に身を潜めてアドは、敵を撃った感覚を思いだそうとしていた。レアの死を想像した瞬間、思考にノイズが走り、指が勝手に動いていた。それが心によるものか、外傷によるバグかは分からない。なんにせよ、もしかしたら殺せるかもしれない、という思いが湧きでてきた。しかし、視力を失ったことは覆すことのできない圧倒的な不利だ。音をたよりに戦うことを強いられている以上、より神経を研ぎすませて、ガエルの動向に気をはらなければならない。アドは瓦礫に打ちつける水の音がこんなにも煩わしいと思ったことはなかった。 潜んでいたガエルが動く。アドは彼を察知、音の方向へ発砲する。ガエルは銃弾をかいくぐってアンドロイドの元へと走る。何発かの銃弾がガエルの肉体に刺さる。動きを抑制されながらも総隊長は彼に撃ちかえす。そのたびにアドは身を隠した。 敵に視認されれば、即座に撃ち殺される――アドはフラッシュを投げる。総隊長は閃光に目を伏せて対応、ふたたび顔をあげた。二度目の閃光。二個目だ。まともに光を浴びたガエルは視界不良に陥った。アハトは弾切れをおこしている。装填している時間はないとふんだアドは賭けにでた。ナイフを持って見えぬ敵に近距離戦闘を挑む。 一時的ではあるものの、互いに視力を失ったという条件は同じ。 アドの気配を察知したガエルが拳銃を構えるが、すでにふところに彼はいた。ガエルもナイフで応戦、二人のナイフが交錯する。その動きは互いに見えているかのように、相手を正確に捉えあう。だが、アドは時間をかけすぎた。しだいに視界をとりもどすガエルは彼の動きを見切り――首、脇の下、鳩尾、内股へと流れるように切り裂く。とどめにアンドロイドの心臓へ、ナイフを深く突きたてる。 アドは腹部を押さえて後ずさり、跪いた。全身の機能が著しく低下していく。 ――血塗られた暗闇で、弾倉を装填する音が聞こえた。次にスライドする音。それはまじかに迫った死の宣告だった。不意にレアの叫び声が聞こえた。彼女はアドを探して、ASP本部のロビーにまでやってきていた。 アドは彼女に顔を向ける――。 耳元で発砲音がした瞬間、側頭部に衝撃を受ける。銃弾は彼の耳の上部に入りこみ、頭髪と頭蓋、脳漿と血液が噴きだした。 無残な姿で倒れる彼は硬直したまま横たわった。 レアは最悪の瞬間を目の当たりにして、その場にへたりこんだ。彼女は間に合わなかった。 アンドロイドといえど、その身は細胞を使った生体。心臓や脳を破壊されたなら死ぬ。アドの姿は凄惨を極めていた。両目から、鼻の穴から、口から永延と血液を流している。 ガエルは悠々とアンドロイドの顔面を踏みつける。 「動かなくなっちゃったねえ。ロボットに相応しい結末だ」 総隊長はレアの元へと歩む。メインディッシュだ。「やあ、レアちゃん。やっぱりフェリチアーノのクソロボットは壊れたのかな? 人間の君を、彼が殺せるはずがないからねえ。君の望んでいた仇をプレゼントしてやったんだ。楽しかっただろう。さあ、お返しに、私と楽しいダンスを踊ってくれたまえ。人間同士、仲良くしようじゃないか。それともいまから子供を作ろうか! この都市の隅で、新たに家族ごっこも乙だねえ。いや、やはりここで陵辱に沈んだほうがより、面白そうかな」 レアは一言も発さず顔を歪ませてすすり泣いていた。 アドの脳内では、思考システムの保護が急速に行われていた。神経回路を断絶し、前頭葉に思考回路を集中させる。薄れゆく意識のなかで、レアといた記憶を反芻していた。まるで走馬灯を模したような機能だ。それは短い、短い記録。彼女と戦い、二度目にライフルを突きつけたときの場面が流れる。彼は〈彼女に負けた。いや、助けたときの記録か……〉と思う。 彼はそのさい、彼女の言葉に騙されて、銃弾が装填されていないと勘違いした。その結果の敗北だ。しかし、実際は敗北したのではなく、むしろ彼女を助けていたのだと、深層に眠っていた思考システムが教えてくれた。 彼はライフルをリロードしたとき、銃弾がチャンバーに装填される音を聞いていた。弾がこめられていると知りながら、気づかないふりをして、そして負けて見せたのだ。殺される可能性のほうがあったにもかかわらず、彼はライフルを手渡した。なぜ負けたのかという問いに【彼女に一目惚れしていたからだ】と謎の思考システムが教えてくれた。 アドはいまになって、レアへの想いを履きちがえていたことに気がついた。彼にとって彼女は妹のような存在だと思っていた。彼女の姿に亡き妹を映していると思いこんでいた。けれど、それは思考システムが生みだした錯覚だ。もう一つの、謎の思考システムが導きだしていた答えは【レア・カニャスを愛している】であった。それは、アンドロイドにはない感情だ。そのもう一つの思考システムこそが、心であることを彼は体感した。 彼女の笑顔が素敵だった。素直に可愛いと思った。仕草が愛らしかった。一緒にいたいと思った。 彼に妹は存在しない。彼はオリジナルの復讐のために戦っていたのではなく、彼女のために戦っていたのだと、理解した。心はもしかしたら、とうに存在していたのかもしれない。ただ、愛することから逃げていた。それが、心の存在をかき消していたのだろうか、と彼は思う。  “……まだだ。まだ、戦える。俺に心があろうとも、肉体は人間じゃないんだ。まだOSも肉体デバイスも生きている” 時間はない。脳はいまも縮小を続けている。
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