少女

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少女

四月二日昼、アドはアルモニアの東側に位置する繁華区にきていた。銀のケースに関する情報がないか、街の大図書館で調べるためだ。ケースの隅に小さくロゴマークが施されていることから、古い時代に使われていた既製品の記憶媒体ではないかと彼は考えていた。自宅のPCで検索システムを使えば、簡単に分かることではあるが、ネットワークはASPに監視されているだろう。慎重を期して、彼はアナログに頼ることにした。 繁華区は第一セクターから第七セクターまであり、第一セクターから第三セクターは大勢の人々で賑わう場所だ。電気の通っていないビルから、土地の概念を捨てて乱立するトタン製の建造物が、壮大な迷宮を形作っている。地上では幾本もの運河が入り乱れるように流れ、浮かんでいるのが不思議なくらいボロボロになった小船がひしめきあっていた。水面(みなも)はどす黒く汚濁(おだく)しており、表面には汚染物質が染めた虹色の模様がサイケデリックにその形を変えている。 無数のビルが空を遮っているせいで日中でもあたりは薄暗く、ネオンやホログラムの人工的な光が行き交う人々をカラフルに照らしている。窮屈で酷く圧迫感をあたえる空間に、アドはこの地へ足を運ぶたび、誰かに飼われているような嫌悪感を覚えていた。 川沿いは大勢の人々とポンコツ丸だしな話し方をする人型ロボットで溢れかえっていた。騒乱を極め、たえず怒号がとびかうなかをアドは突き進む。 アドの凶悪そうな人相に人々は避けていくが、多くのロボットには避けるような機能がない。棒立ちで店の呼びこみを行うか、あたりを見回しているだけの存在だ。 彼はロボットの類が嫌いだった。感情のない目できょろきょろと辺りを窺う姿は、まぬけなようでいて、どこかAIと繋がっているような気がしてならない。広義的な意味ではAIと同列の存在だ。なにを考えているのか分からない不気味な存在――往々にして彼の前にたちふさがってしまった哀れなロボットはみな、殴り倒される運命にある。  アドはケースに執着する理由がある。もし、AIに関する機密情報が含まれているのなら、AIを殺す方法が分かるかもしれない。 いままで彼はなんどか支配者の暗殺を企てることがあった。AIが消え去れば都市は機能しなくなり、都民たちは混沌のなかで地獄をさまようことになるだろう。それはアドにとって願ったり叶ったりな結末だ。つまり、彼の願うところは都市の破滅にある。その根底にある思想は『すべての都民は殺人の共犯者であり、断罪を()うべき傍観の信徒である』というものだ。道端で野垂れ死ぬ者を助ける人間はいない。どこかで誰かが死んでいる事実から目を逸らして生きている。妹を失った日、見て見ぬ振りをする都民の姿が、彼の目には間接的な人殺しに映っていた。 しかし、彼はそれを口にしたことはただの一度もない。自暴自棄を極めた思想であると分かっていたうえに、言葉にすれば消えることになると知っている。だから彼はいまの社会のあり方について沈黙を貫いてきた。 それでも押し殺していた感情は叫んでいる。『復讐の行使に移れ』と。相棒であるアンヘルでも知らない彼の内に秘めたる炎は、いまだ潰えることなく火種を残していた。 ただ、AIの人知を超えた性能を考えれば、アド一人の手で始末するのは不可能だ。もし可能ならとうに誰かが消しているだろう。AIは不要だと思っている者がこの都市には少なくない。誰もが大なり小なりAIに対して思うところがある。そんなAIが存続している理由は単純明快だ。殺す前に殺される。この都市の支配者がどんな姿で、どこにいるのか、それを知っているのはASPの上層部だけで、都民たちは声も知らない。調べようとするだけで重罪となるこの状況下では、動くことすらままならないのだ。懐に忍ばせている銀のケースは、そんななかで偶然にも掴んだチャンスだった。おいそれと手放すわけにはいかない。
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