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花とことり
放課後のチャイムがなると図書室へ向かうのが私の決まりごとだった。渡り廊下をひとつ越え、ふたつ越える頃には生徒たちの喧騒も遠くなって、階段をくだる自分の足音だけが耳に響くようになる。
タン、タン、と上履きが床を打つ。
クラスメイトと話しているときよりも、鏡をみつめているときよりも、テストの結果が返ってきたときよりも。自分の足音を聞いているとき、私は確かな自分を感じられた。見た目とか立ち位置とか成績とか、そんなものにごまかされないただの音が、私の輪郭を明確にさせた。
それは花の足音を聞いているときも同じだった。迷いのないしっかりとしたその足音を聞いているときだけは、確かな彼女を感じることができた。言葉を重ねても、隣りあってペンを動かしていても、私は花のことがよく分からなかった。
キスしたら。どうなんだろう。
「琴里」
図書室の扉がガラリと開き、その足音は本棚の脇に立つ私の元へ近づいてくる。ふりかえると目の前に花がいた。そしてためらいなく、いつものように、顔を寄せてくる。唇まであと二十センチ、十センチ…今はどれぐらいだろう。ギリギリ、くっついていない。でも、多分、どちらかが言葉を口にしたら触れあうと思う。
「ねえ」
あ、と思ったけれどすれすれのところでそれは触れあわなかった。安心したような、がっかりしたような、よく分からない気持ちになった。
そう、よく、分からない。
「くっつくと思ったんだけどな、唇」
近づいてくる誰かの足音を察して、離れながら花は言う。それは残念そうでもあったし、仕方ない、という雰囲気も感じられた。キスをするもしないも私たち次第なのに、それを選択する権利は今、私たちの手の中にはないような気がしていた。
「琴里次第なんだよ、ほんとは」
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