触れたくて

10/11
前へ
/22ページ
次へ
 どうしよう、何も言う言葉なんて見つからない。隣の譲さんが何? と尋ねるかわりに緩く首を傾げた。そんな何気ない動作にも心が動揺する。  どうしようか、何を言えば―― 「……頬に、ゴミが」 「え……?」  右手の人差し指の先で、譲さんの頬にゆっくりと触れた。傷つけないように、指の腹で一瞬拭うだけの動作で。  ゴミなんて付いてないのに、とっさにそんな事を言って、俺は。 「あ、ありがとう」  俺は、下らない嘘をついてまでも、神聖なこの人に、触れたかった。 「ちょっと、お兄、なに顔赤くしてるのー!」 「え?」 「だめだめ! 孝文はあたしのだからね。あげないからねっ」 「美波、何バカなこと言ってんの。早く食べなさい」 「あ、いやごめん、ビックリしたから……」  申し訳なさそうに顔を僅かに赤らめて俺を見る譲さんが、可愛い。  ああ、可愛いって、適当に今までずっと口にしすぎていた。挨拶くらいの気持ちで、簡単に誰にでも言ってたかもしれない。それくらい、今までは軽い言葉だったのに。  もう譲さん以外には言いたくない、思いたくも感じたくもない。二度と―― 「いいえ。自己紹介遅れました、辻浦孝文です。こちらこそ、よろしくお願いします」 「うん、よろしくね」  差し伸べた右手は欲望に満ちて決して綺麗なものじゃないのに、差し出された右手はそれさえも全て赦してくれるような気がした。  触れたい。  もっと触れたい。  ずっと触れていたい。  このまま時間が止まって欲しいなんてファンタジーのような事を、今、本気で願っている。  それでも離れていく右手。じんわりと余韻を残す譲さんの体温。  何でこんなことで涙がこみ上げてきそうになっているんだろう。馬鹿みたいだ。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

168人が本棚に入れています
本棚に追加