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Another Route:Page56
「ほら、ね。譲さんと一緒」
辻浦君はその喉元に、刃渡り二十センチ以上はあるだろうかと言う包丁を突きつけながら、にんまりと笑って、言った。
「譲さんが戻ってきてくれないなら俺も今ここで死にますから」
突きつけた喉元から、赤い細い筋が流れ出ている。その赤い筋を見た途端呼吸が不規則に荒くなる。ドアノブを握る手が熱くなる。
どうする、いや逃げなくちゃいけないに決まっている当たり前だ、こんな所でもたもたしていて良いはずない、アイツが、アイツが来るかもしれないのに……っ!
このままここで固まっていたら絶対、来る、来る、追い掛けて来る。
何で? どうして?
足が動かない。
扉から外に瞳は向けている筈なのに、視覚以外の感覚が部屋の中にまだ在るようだ。
「ねぇ、譲さん……」
床に鈍い音が響いた。
「譲さん……お願い……戻って、譲さん」
切なげな声は決してその距離を詰めているわけでもないのに僕を追い詰める。
「譲さん、譲さん譲さん譲さん譲さん譲さん、ゆず……――」
狂うように叫び笑っていた声が、涙を滲ませた掠れたか弱いものに変わっている。
もう何度君の狂態を目の当たりにしただろうか。
鳥の鳴き声が耳を掠める。
日の光りが僕の頬を温かくしている。
外の世界が、酷く眩しくて遠い。
「お願いします信じて下さい、愛してるんです……貴方を、本当に、貴方だけを、俺は」
お願いします信じて下さい。
愛してるって……何?
こんな風に人を追い詰めることが愛なんだろうか?
解らない。人が人を想うことでこんなに狂うことが出来るという現実が理解できない。
何でそんな風に言えるんだ?
僕達の間にそんな感情が芽生えることが、一体いつ起こっていた?
僕の知らない間に、君は僕のせいでおかしくなったのだと言うの?
そしてその責任を僕に求めるの?
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