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「ゆ、ずるさ……」
部屋の中を振り返って、やっとの思いで開けた扉を再び閉めた。
辻浦君が首にあてていた包丁が音を立てて床に落ちた。
その床には、辻浦君の涙や血液なんかが小粒に落とされていた。
僕を見上げる瞳は真っ赤に充血していて、整った顔は涙や鼻水でぐちゃぐちゃの状態だ。口の端は涎と血に塗れ、薄い赤に染まっている。
――酷い顔だ。
何て酷い顔なんだろう。
いっそ笑い飛ばしたくなる。
「僕は、僕は君なんか……」
「う、う……ぁぐ、ゆずるさ……」
僕の足に縋る情けない姿。
震える手で僕の足首を掴む姿。
振動が肌に伝わる。生温い水滴が足の甲に落ちる。
「君なんか……」
さっきみたいに、嫌いだと言い放ってしまえば良い。顎を蹴り上げれば良い。それくらいしたって悪くないはずだ。
悪くないはずだ。
足の力が抜けていく。
目線の高さがゆるゆると低くなって、嫌いな人間の顔が近付いてくる。
「譲さん、譲さん……」
すぐそこに僅かに赤を滴らせた包丁がある。ナイフなんか比べものにならない殺傷力を有したもの。
馬鹿だな、何でこんなに冷静になってるんだろう。
殺されてしまうかもしれないのに。
「――僕は君が嫌いだ」
濡れそぼった震える頬を両手で包むと、涙で潤んだ大きな瞳とぶつかった。
瞬きする度にその瞳から大粒の涙が滴り僕の手に滑る。
「ゆ、譲さん、あ、あ、あっ……、愛して、います、愛してるんです」
嫌いだと言いながら辻浦君の頭を胸に収めた僕も、……もしかしたら、君に染められて狂ってしまったのかもしれない。
だって、力が入らないんだ。
ずっと追い詰められ続けていて、呼吸することすらどうすれば出来るのか解らないくらい緊張させられて、普通に息を吸って吐くことがどうして出来ていたかとか考えて。
辻浦君に出会うまで特別良いことも悪いことも起こらなかった平坦な時間に僕は身を置き生きていた。
――疲れた。
倦怠感が奇妙に全身を包み込んで、何かを考えるのももう面倒になってしまった。
「貴方だけが欲しいんです」
視界の端で、包丁の柄に指が絡んで行くのを見届けながら、僕はゆっくり瞼を下ろした。
……BAD ENDING?
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