(一)腹立たしいもの

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 見上げる空のどこにも星はなく、月もない。隙間なく覆いかぶさる、雲雲雲。何層にも重なる雲からは、今にもぽつりぽつりと雨が降りそうだ。少年の心内を映し出している空模様だ。 一点の晴れ間もないその闇空ー一点の曇りもないその闇空の如くに、少年の心は沈みきっていた。  どこからともなく、静かに一筋の糸となって降る雨が少年は好きだった。切っても切っても、それは糸として連なる。そして次には、ボトリボトリと水滴となっている。そしてまた、糸の色だ。透明であるはずなのに、白となり或いは銀色に輝く。赤になり青になることもある。辺りが発する光を体全体で受け止め、それに浴されながらも、それ自体が美しいということが良い。  そう思う、少年だった。  しかし今夜の少年には、何もかもが腹立たしかった。  降りそうで降らない雨、少年には腹立たしい。そして雨が降り出したとしたら……やはり腹立たしく感じるだろう。まとわりついている湿り気が、少年の衣を重くする。じとじとと攻め立てる湿り気が、少年の体を重くする。  闇空が腹立たしい。  月の出ていないことが腹立たしい。星も瞬いていないことが気に障った。そしてこの闇空の下において、目映いばかりのネオンサインの溢れる街。月明かりを拒否するがごとくのネオンサイン。風流風情のないことが当たり前の、この歓楽街。それが腹立たしい。  色とりどりの華を咲かせるネオンサイン。  赤あり紺あり緑あり、はては黄ありのネオンサイン。少年の心の憂鬱さにくらべて、あまりに華でありすぎる。それに染まらぬその中に溶け込めぬ己が、少年は腹立たしかった。良い子であり過ぎた、己の過去を忌まわしく感じている。優等生の己が腹立たしかった。  川の中に投げ込まれた石でもって波紋を呼んだとしても、その後に来る平穏な水面を考える時、不安だった。この快楽の巣である街にたった独りでいることが、そこに溶け込めないことが、何よりも不安だった。そしてその不安は、うろうろとうろつく野良犬が出現すれば、少年の独歩の意味が跡形もなく消え去るかと思える不安だった。
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