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しかし幸か不幸か、この街には、腹を空かせた狼はいても残飯を漁る豚はいても、野良犬はいない。まして少年はいない。同世代の少年たちに、お子ちゃまと揶揄される少年はいない。
どんなに大人を演じても、決して認めてはくれない。どんなに大人の型ータバコ・酒と進んでも、お子ちゃまと揶揄されてしまう。
濃茶のストレッチズボンに濃茶のコール天のスポーツシャツ、そして薄茶のコール天のブレザー。さらに靴は濃茶と、茶色が大人のシンボルだとばかりに全身を茶系色で統一した。ラフなスタイルにと気を使い、シャツのボタン上二つを外している。それが大人のスタイルだと信じて。
いかにも遊びなれた男を演じるべくーその実、遊び人の表情を知らないけれどもー口を真一文字に結んでいる。ニヤけた顔にならぬようにと気を付けながらも、薄笑いを浮かべた表情をと考えている。そして、眉をひそめて“ふん”と鼻をならすことを忘れぬようにしている。
時折、店の前にたむろするホステスが少年をからかう。
「ねえ、ボーヤはもう寝る時間でしょ」
少年はできるだけ平静を保ちながら、手を二度横に振る。二度でなければならぬ、と決めている。銀幕のアクションスターがスクリーンで見せた仕種が、目に焼き付いている。
意固地なまでに、頑なな表情で通り過ぎる。それはいかにも滑稽だった。少年をお子ちゃまと呼ぶ級友たちに見られたならば、「お子ちゃま、お子ちゃま」と、また囃し立てられるだろう。
酔っ払いが少年をからかいつつ、すれ違っていく。
「お兄さん、今夜は誰を泣かせるつもりだい?」
しかし少年はそれを、遊び人と見られている証拠だとほくそえむ。
少年の足が、大通りから裏通りへと向く。細長いビルが立ち並び、バーやらスナックやらの看板が目に入る。そしてその中の一つのビルで止まった。濃茶のガラス戸で、取っ手が鈍い銀色に光っている。そしてアクセント的に右の上部に、小さく鏡のように反射する銀文字で[パブ・深海魚]とある。
少年の心が、期待に大きく膨らむ。少年の手がドアを押す。そこは、光と音の調和良く構成された世界への入り口だ。まず赤い縁取りがされた漆黒のビロード地の幕が、少年を迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。」
慇懃に礼をしながら黒服の男が声をかけてきた。
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