(二)陶酔する

2/4

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
 入場料を支払って始めて、幻想の世界へと入ることができる。そして二重合わせの幕の間を抜けて、ミラーボールから発せられる色とりどりの光線の洗礼を受ける。ここでたじろぐことなく、少年は歩を進める。黒服の男は幕の外からは中に入らない。ここには二度目となる少年は、迷うことなくカウンターへと向かう。 「いらっしゃい!」  バーテンの声が、少年の耳に心地良い。常連客を迎えるが如きの声掛けが嬉しい少年だ。といって、初めての時にも同じように声掛けがあったけれども。 「どうも」  カウンターの隅に進む。  いかにも常連客が座る席の筈だと、少年は考えている。しかし今夜は先客がいる。ブランデーらしき、大きなグラスを傾けている女がいる。一つ二つ席を空けてと考えた少年に、バーテンが言う。 「すみませんね、お客さん。女性のお隣で良いですか? 今夜は満員になりそうなんで」 ドギマギしながらも、「失礼します」と女に声を掛けて座る少年だ。しかし女からは、何の反応もない。壁に寄りかかりながら、目を閉じている。眠っているわけではないようだ。かすかに指が動いている。 「何にします?」 「コークハイ、ください」 「はいよ! コークハイ、ね」  突然、女の目が開いた。  そして、軽蔑の眼差しを少年に向けた。 “コークハイですって! ふん、お子ちゃまね。”  少年の耳に、女の声が聞こえたような気がした。しかし少年は無視する。  差し出されたコークハイを半分ほど飲み込むと、ジンと快い刺激が喉を襲う。ゆっくりとグラスをカウンターに置くと、耳に入り込んでくるバンド演奏に聞き入る。そしてそのジャズ演奏に、身を委ねる。少年の体に染み入ってくる生のジャズに、次第に陶酔していく。  そしてそのジャズが、少年の手足を動かし始める。演奏に合わせて、小さな動きから次第に大きく体が波打ち始める。その様はまさしく、猿回しの太鼓に踊らされる猿のようにぎこちない。それでも、目を閉じて聞き入る少年は、大人の少年がそこにいると思っている。  正直、少年はジャズを知らない。聞く機会もなかった。年上の、大人たちの会話の中で飛び交うズージャという言葉。カタカナ文字の名前。少年を取り囲むのは、大人の歌う歌謡曲だ。しかしジャズが黒人の心の歌である限り、同じく虐げられた者に響く何かがある筈と、少年の期待は大きかった。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加