第8話

2/42
129人が本棚に入れています
本棚に追加
/159ページ
ベッドへと横たわったまま、陽子が、いまだ意識の戻らない渡邊忍の容体を見守っている。 そんな部屋の扉をノックする音に顔を上げた視界の中、瑠依が何気に顔を覗かせた。 「忍君‥‥‥どう?」 「まだ目は覚まさないんだけど、大丈夫よ。状態は安定してるから‥‥。」 「そう、良かった。ところで、亜紀がどこに行ったのか知らない?」 「ついさっきまで、ここにいたんだけど‥‥。すれ違わなかった?」 陽子の言葉に納得した様子で、静かに扉を閉めた瑠依。 『緋冴さんの部屋には顔を出さなかったし‥‥一体、どこへ‥‥。』 そんな足先が、なぜか引きずられるかのように、ある場所へと導かれてゆく。 廊下越しに見届けた亜紀の姿が、日中だというのに、暗闇の空間漂う部屋の一室で、なぜか立ち尽くしている。 「亜紀‥‥。」 思わず歩み寄ろうとしていた瑠依。 だが次の瞬間、突然の恐怖に彼女の足はすくんだ。 一向に身動きする事の無かった彼の顔に、そして身体に、正面方向から何かが大量に降り注いだからである。 『亜紀!』 声にならない悲鳴と共に飛び込んだ部屋の中、彼の目の前へと向き合った瑠依が目にしたもの‥‥‥。 それは、まるでバケツで水を投げつけられたかように浴びせられた、真っ赤な鮮血だった。 「これ‥は‥‥血‥‥。」 瑠依が目の前に現れたというのに、微動だにもぜす真正面から視線を外さない亜紀。 手に触れた液体の感触が、生々しいほどにドロッとした生温かいものを不気味に感じさせている。 『一体、誰が!』 そう思って視線の先へと振り向こうとした瞬間、亜紀の手が瑠依の腕を引き留めた。 「見るな。絶対に振り向くんじゃない。」 声を押し殺すかのように、それでいて冷静に、漂う空間の行方を見定めているかのようだ。 「でも、亜紀‥‥あなた‥‥。」 相対している物の存在も分からぬままに、不安げに亜紀の表情を見上げたその視線。 同時に、瑠依の背後で例えようのない冷気が押し寄せた。 ≪坊や‥‥坊や‥‥私のかわいい坊や‥‥。あの子の記憶を呼び覚ますな‥‥‥。この私がいる限り‥‥誰も呼び覚ましてはならない。≫ まるで死に絶える直前のような‥‥声帯の閉ざされた女性の声が、地の底から波動のように部屋中へと伝わっている。
/159ページ

最初のコメントを投稿しよう!