第5話

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「以前から、あの人に言われていたんです。自分が死んだと言われても、絶対に信用するな。その相手が、たとえ警察の人間だと名乗っても、それは誰かが仕組んだ罠かもしれないから、絶対に信じるな‥‥と。」 それだけ自分が危険な立場にあるのだと、田中僚は緋冴に言い聞かせていたようだ。 「ところで‥‥本当は自分の為に田中が危険な証拠を手に入れたのでは?という思いも、君の中には、あったんじゃないのか?」 「彼から手渡された証拠の品を、私は結局そのまま受け取らずに返しました。先生の言う通り、それを知るのが恐かったのかもしれません。だって、もう抜け出せない所まで来ていた事に違いは無かったんですから‥‥。」 田中が証拠を手渡したあの日、彼の口から出た言葉に緋冴は衝撃を受けた。 証拠を受け取ったにしても、受け取らなかったにしても、これ以上自分には関わらない事。 それは事実上、別れの言葉を意味していた。 「私は彼を避け続けました。しかし、これは彼が私に指示した事だったんです。証拠となる情報が流れ出した事実に気付かれては、私も、そして彼自身も命の保障は無かった。私達の接点を避ける事を、あえて周囲に誇示する必要があったんです。」 「その為に、精神科医である香山も利用したのか?」 緋冴自身の精神的な問題を表面に出す事で、万が一の時の為に香山を証人に仕立てたかったのだ。 いや、もしかしたら、これも緋冴を守る為に田中自身が仕組んだ事なのかもしれない。 「香山さんに相談していた事は、本当の事です。私が最初、素直に田中さんを受け入れなかったという事。そして少女の亡霊に悩まされていた事も‥‥。しかし、最終的には香山さん本人を危険の中に巻き込んでしまった。」 香山は言っていた。 西崎が病院関係者から賄賂を受け取っていた事実、そして曽根山と真侠会との繋がり、結果的に全ては田中本人の口から聞かされたのだと‥‥。 しかしその後、田中と緋冴、二人を守る為に香山自身がこの構図の中で一人歩きを始めている。 「まだ、何か裏がありそうだな‥‥。」 物思いにふけるかのように、霜沢が一言呟く。 そんな彼の視線が、所狭しと建ち並ぶ高級マンション街をじっと見下ろす緋冴の眼差しを捉えていた。 まるで海辺の景色へ注がれる為のテラスであるはずが、彼女にとっては全く意味を持たないかのようだ。 一瞬、緋冴の姿が見覚えのある誰かの後ろ姿と同化する。
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