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そう言えば、あの香山もこうして左脇にかすめているマンションの佇まいを見据えていた。
「もしかして、この辺りは以前、君の住んでいた場所‥‥なのか‥‥?」
「ええ。確かに6年前、あそこは火の海、何もない荒野でした。」
まさしく、広大に建ち並ぶ高級マンションの街は、6年前、緋冴が住んでいた遠い記憶の場所だったのだ。
そんな中、突然にしてドアノブが回された。
「霜沢先生‥‥、ちょっと来てくれないか‥‥。」
ドアの隙間から、香山がほんの少し顔を覗かせる。
「まずい事になった。どうやら、ここが見つかるのも時間の問題のようだ。」
部屋の外へと歩み出した霜沢を前に、香山は困惑気味な面持ちで声を潜めたのである。
一方、騒々しい雑音と熱狂に沸き立つ競馬場の中、西崎の様子を遠目で伺い見ながら尾行を続けていた刑事の肩に考彦が後ろから手をかける。
「岡本さん‥‥。この人混みの中、よくここが分かりましたね。」
「俺にとっては庭みたいなもんだからな‥‥。そんな事より、あの後、氷山にはちゃんと予定通り連絡を取ってくれたんだろ?」
「はい。もうすぐ、こちらへ到着するはずです。」
馬券を買い求める人並みに埋もれながら、西崎は情報の流れている掲示板を見上げている。
そんな姿に横目で視線を走らせながらも考彦の背後から、一人の年配男性が足音も無く近づいて来た。
「待たせたな、考彦‥‥。」
振り向き様に、男を見やる考彦の口元に笑みが浮かぶ。
「すまないな勝(まさる)さん。もう引退しようとしてたあんたに、こんな無理なこと頼んじまって‥‥。」
「お前とは親父さんからの付き合いだ、構わんよ。それにしても、お前がまさか刑事になるとはなぁ。あのまま俺の息子として家に居ついてくれていたら、今の俺のように、いずれエージェント(調教師や馬主と交渉し、騎乗馬を確保する仲介者)を引き継がせてもいいと思ってたんだぞ‥‥。息子の奴は結局、厩舎で競走馬の調教師になる道を選んだ訳だが‥‥、俺の跡は継がんと言いよった‥‥。父親としては、1人息子に自分が築き上げたもの全てを託して、退き時も考えておったのに‥‥。今どきの若い奴らの考えは到底、理解出来んよ。」
昔堅気の勝という男にとっては、今時、親の成し遂げた稼業を継がない若い世代というものが、相変わらず理解しがたいようだ。
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