皆無感覚

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つまり、「そうともいえるかもしれない、いえないかもしれない」正解も不正解も存在しない、まさに「なんにでもない」という意味での「皆無」なのです。 矛盾しているように聞こえますが、矛盾はしていません。わかりやすい例で説明します。例えば目の前に怒っている人が居ます、あなたが皆無感覚で考えた場合、その「怒り」に対しての解釈は以下となります。 「この人は怒っているのかもしれない。しかし、怒っていないかもしれない」 まず、相手の怒りに対して、怒っているとも、怒っていないとも解釈していません。つまり「怒り」という感情が確かに存在している事を否定しています。本人は直接「あなたは怒っていない」とは言っていませんが、怒っているかもしれない、いないかもしれないと言っているので、怒っているとは認めていません。そのため、怒りの存在をはっきりではありませんが、否定しているのと同じ解釈になります。そしてさらに、怒り存在を否定はしていますが、「存在していない」という認識も認めていません。端的に言うと「どちらでもない」つまり「皆無感覚」の本来の持つ意味である「ただの~なんにでもない(皆無)」という意味に繋がる訳です。 コモンセンス(皆無感覚)を理解した所で、CSN(コモンセンスネットワーク)の脆弱性に話を戻したいと思います。     
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