14人が本棚に入れています
本棚に追加
しばらく無言で花は楽譜を見詰めていた。何か考えているので、俺も黙っていた。手持ち無沙汰なのでスマホで連絡の確認をすると、社長からメッセージが入っていた。いつ帰って来るんだ、と。
「きれいな音を集めたかったのは、癒されたいから」
唐突に。花は聞こえるか聞こえないかくらいの声で話した。俺は黙って茶をすする。湯呑みを置いた音がやけに響いた。
「優しい音が、必要だったの」
「分かった。それなら、まず調を変えた方がいい」
突然仕事モードに切り替えた俺に、置いてけぼりにされた花がぽかんとこっちを見た。
なんだ? 『彼女の愚痴を聞いてやれ』? ハッ、そんなの俺には関係ないことだ。文句があるならその彼氏に言うんだな。
俺は俺のやるべきことをやるだけだ。
「どうせ半音がないからハ長調にしたんだろうが、絶対に別の調の方が響く。ピアノ借りるぞ」
食べ終えた椀はそのままに、俺は電子ピアノの蓋を開けた。
「和音の知識がないから仕方ないが、まあ例えば最初は五度じゃなくて六度の和音持って来ると……」
そう言う俺の側に、花も楽譜を持ってやって来る。冒頭部分。なんとなく俺のセンスで和音を付けていく。
「ああっ、そんな感じです!」
興奮して花はピョンピョン飛んだ。飛ぶな。畳が抜けたらどうする。でもコイツがやっと楽しそうになったので、俺もちょっと調子に乗ってきた。
な? 音楽って、楽しいだろ。
ちゃんと自分の言いたいことを音に乗せられたら。
花は次の日も仕事だったのに、俺たちは徹夜で曲を仕上げてしまった。
食べた後の椀は汁が器の表面にくっついてカピカピになっていた。
最初のコメントを投稿しよう!