歌い手

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 わたしは神のほほえみからは遠く離れている。生死をかけてまで歌い手を選んだのは、歌が好きだからでもなければ人より秀でていたからでもない。  子だくさんの貧しい家に生まれ、口べらしで外へ出されたのだ。ほんの少し、他の者より歌えただけ。ほんの少し他の者より歌を覚えるのが早かっただけのことだ。  師匠に声変わりまえに『男』であることを捨てさせられた。  とくべつ才に恵まれたわけではない。ただ、ただ生きていくために……。  そんな、なし崩しに歌にたずさわるわたしにすら分かる。  姫は、歌の神から愛されたのだ。  羨ましくないと言えば嘘になる。けれど、姫の窮屈な後宮での暮らしを思うとなんとも言い難いものも感じた。  なぜ披露しないのだろう。  あれだけの歌声ならば、王の気を惹くこともできるだろう。けれど姫はしなかった。何かわけでもあるのだろうか。  わたしには、わからない。  王族という人々の生きようは。  ウードを鳴らすと、丸い天井に反響してふだんの数倍よい音に聞こえる。それでも、姫の鳴らした音の足元にもおよばない。  わたしは記憶に残った姫の歌声を真似た。  歌い出しは、糸のように細く長く、途切れることのない高い音。  喉をひらき、腹から声を響かせる。けれどわたしの声が天井にわだかまる。  ……ちがう。耳に残る声はもっと高く澄みきったものだった。     
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