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汚れた絆
隆太の祖先、金子泰清は真田忍者だった。
天正8年(1580)5月、信濃上田城(長野県上田市)主の真田昌幸が上野沼田城を無血開城させ、手に入れた。このとき、沼田地侍衆の金子泰清は城代補佐になったが、沼田城復帰を狙った沼田景義の進撃の急報を受けた。
「おのれぇ!景義」
景義は沼田城を築いた、沼田顕泰と妾であるゆのみとの間にできた子供だ。
ゆのみは泰清の妹だった。
昌幸は泰清に策略をもって殺すように命じた。その恩賞として『一千貫文』が約束された。泰清のとった策略とは、時には肉親をも裏切るという忍者が使う、血縁を利用した景義の誅殺だった。
同9年3月、景義は支援の軍勢ら3000と共に、沼田城にほど近い南越生(群馬県利根郡昭和村越生)に着陣した。
泰清は沼田城の北側にある観音堂で景義に会い、偽の起請文を渡して降伏を申し入れた。起請文の血判は鶉の血でごまかした。そして、城主として迎えたいと景義の復帰を喜び、さめざめと泣いてみせた。景義は叔父の演技を看破することが出来なかった。
同月15日、泰清は観音堂に景義を再び誘い出し、城に案内すると騙し、水の手曲輪から城内に入ったところを、脇腹を3度刺し貫き、誅殺した。
「叔父上、どうして?」
泰清はそしりを後世まで浴びたといい、沼田城を追放され病死したらしい。
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