第6話 幽霊おろく

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(二)  江戸の街を眩い朝日が照らし出す。浅蜊売りの声も聞こえ出す辰の刻頃には、人々は既に眠りから覚めていつもと変わらぬ日々の営みを始めている。  そんな朝の一時、浅草は材木町の大川の川端には、幾人かの人間が集まっていた。  その中の一人は辻番の役人のようであった。役人の監視の下、二人の人足が女の死体を戸板に乗せて担ぎ上げている。これから死体を番所に運び込み、御目付に届け出てから近隣の墓所の片隅に無縁仏として埋めることになるだろう。周りには五、六人の野次馬が取り巻いている。  死んでいるのは、この辺りを商売の場としている夜鷹女だ。よくあることだった。  朝っぱらから行き倒れの対応に駆り出されたためか、眠気のまだ覚めきらない様子の役人は目を瞬かせながらふぁっと欠伸をした。 (助けてあげられなくてごめんね……お小夜ちゃん)  おろくは、傍らの柳の木の下に立ってこの様子を眺めていた。  左之吉との勝負に負けて体から魂を抜き取られたおろくだったが、なぜか地獄に連れて行かれることもなく、意識だけが「幽霊」となりこの世にとどまっている。  初めて明るい場所で見るお小夜の顔はやつれてはいるものの思っていたよりも若く、おろくと同じ年か、事によると年下のように見えた。短すぎた彼女の人生を思うと胸が締め付けられるような哀しみを感じるが、眠っているように穏やかな表情が唯一の救いだった。  自分の体はどうしてしまったのだろう、と、お小夜の亡骸を眺めながらふと思う。  おろくは、左之吉に魂を抜かれた後で夢うつつに見た風景を思い出した。舟に乗せられた自分の体がどんどんと遠ざかるのをただ見送っている光景。  やはり、あの光景は本当で、自分の体は川に流されて海まで行ってしまったのだろうか……やがておろくの体は通りがかりの漁船に引き上げられる、二目と見られぬ姿になって……。  そこまで考えるとおろくはブルリと体を震わせた……震えを感じるべき体などはもうないはずなのだが。 (これからどうすればいいんだろう)  おろくは途方に暮れた。しかし、途方に暮れると言っても、もう死んでいるのである。死者であれば何をする必要もなく、また何をしても良いはずだ。 (いずれ、あの左之吉とかいう死神が地獄から迎えにくるかもしれない。だからその前にせめて……一目だけでも、お父つぁん、お母つぁんに……)  おろくは実家のある神田に向かって歩き出した。体を持たない幽体だけの存在ながら魂は体の感覚を覚えているらしく、地面を蹴って普段通りに「歩く」ことはできる。もっとも足元はいつもよりもフワフワとしていて、なんとなく覚束ない感じではあったが。          
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