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(三)
おろくの生家は神田の紙問屋だ。絵双紙や役者絵、瓦版を始めとして出版業が盛んで本屋の数も多い江戸では、紙問屋はなかなかに儲かっており人の出入りも多く活気がある。
おろくが一年ぶりに訪れた実家の店先にも、これから卸す紙の束が山となって積み上げられ、その光景は以前と何も変わることはなかった。
おろくが家を出た直後はすぐに連れ戻されることを覚悟していたのだが、結局両親が自分を捜していたような形跡は何もない。他人と違う赤い目を持つ娘を厄介払いにできて、案外ほっとしているのでは……と考えると、どうにもならない寂しさがこみあげてくる。
自分から家出をしておきながら、心のどこかではいつか両親が自分を連れ戻しにきてくれる日を待っていたのだ。
店先に父が出てきた。一年前よりも白髪が増え、年をとったように感じる。
父は、店に立っていた手代らしき男と何やらヒソヒソと話し合っている。その手代の顔を見ておろくははっとした。
(あいつは……)
いつも賭場にいる刀傷の男に間違いなかった。しかし、額にあるはずの刀傷の跡は綺麗に消えていた。
「おろくさんは……」手代の口から自分の名前が漏れたのが聞こえ、おろくは二人のすぐ傍まで近寄った。
「昨日はお寺にいらっしゃってました。すぐに帰られましたが……」
「そうか……具合を悪くしているのではなかろうな?」
「いえ……気持ちはいささか沈んでいるように見えましたが、お元気そうでした」
「……そうか」
すぐ傍におろくがいるとはつゆ知らず、父は溜め息をついて心なしか潤んだ目で空を見上げた。
父はおろくの身を案じて手代を賭場に潜り込ませ、おろくの様子を探らせていたのだろう。手代の額にあった刀傷もおそらく作り物だ。
(お父つぁん……心配してくれていたんだね)
以前よりも一回りも小さく見える父の背中に向かっておろくは思わず手を合わせた。
(お父つぁんお母つぁんに会うこともせず……あたしは勝手に死んじまった……。ごめんね。本当にごめんなさい)
大声を上げて泣き出してしまいたい。しかし、幽霊の身には流すことができる涙さえないのだ。
おろくは悲痛な気持ちを抱えたまま、白い日の光が降り注ぐ往来にしばらくじっと佇んでいた。
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