第7話 死神の運命

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第7話 死神の運命

(二)  おろくは、実体のない指先で自分の唇をそっとなぞった。  肌の暖かさなど伝わったはずはないのだが、それでも口元には久仁八の温もりがわずかに残っているような気がした。 (……最期くらいいいわよね。どうせ私、死んじゃったんだし)  久仁八には自分のことが見えていたと思う。最期に自分の想いは伝わっただろうか?  江戸の街には夕暮れが近づいていた。おろくは、橙色の日の光に染まる川面を眺めている。  おろくの魂は未だ現世にある。だが、自分がどこにいて何をしているのか、という意識が次第にあやふやになってきていた。さっきも、神田にいたと思えば、いつの間にか黒船町の長屋の自分の住居に帰っていた。そして、久仁八に会った後は、意識がふっと遠のき、気がつけば大川端に佇んでいる。  このまま、自分は段々と「この世のもの」からかけ離れた存在になってしまうのか。そう考えると薄ら寒いような気持ちに襲われる。  ふと、夕闇の向こうにぼうっ、と五、六個の光の塊が見えた。  人魂だろう、とおろくは何とはなしに思った。おろくが、夜、大川のほとりを歩くといつもおろくを追い越してひらりひらりと飛んでいく、あの……。  しかし、やがておろくの目の前に姿を現したのは、思ってもみないものだった。  おろくは、それを川で死んだ子供達の魂であろうとずっと思っていた。だが、おろくが今はっきりと目にしているもの、人魂だと思っていたものは、三人の「ヒトのようなモノ」の目だった。  背丈は確かに子供のようで、おろくの肩にも届かない。しかし、普通の子供とは明らかに違う。まず、顔や手足が、緑銅色の細かな鱗にびっしりと覆われている。口はざっくりとザクロを割ったように大きく、閉じきらないままのその口からは赤紫色のねっとりとした舌先が覗いていた。毛は生えておらず、ボロボロの赤茶けた布を身に巻き付けている。目は三人ともに巨大で爛々と輝いており、顔の半分近くも占めているように思われた。体自体は歩く度にぐねぐねと伸びたり縮んだりするようで、そのため輝く目が人魂のように見えるのだ。  三人の化け物はおろくの前で歩みを止めた。じっとおろくを見上げる。  おろくは思わず後ずさった。  三人は何やら顔を寄せてひそひそと話し合いを始めた。 「いよいよ体の器を脱ぎ去ったようですな」  しばらく経って話し合いが終わったのか、化け物の一人が突然おろくに話しかけた。妙に甲高い声が耳に刺さる。 「めでたいことです」 「ムンザシ様も喜ばれましょう」  二人が続けた。 「あの……何のこと?」  おろくはおそるおそる尋ねた。 「今までヒトの体の器に入っていらっしゃったので、私どもも貴方様にお呼びかけすることができずにいた」 「夜にこの道を通るのをいつも見ていました」 「ようやくこうしてお話することができる」 「貴方様に助けを乞うことができる」 「助けてください」 「ムンザシ様をお助けください」  三人の化け物の言葉遣いはごく丁寧で、おろくに向かい深々と頭を下げる。 「助けるって……」  おろくは何が何やら分からない。ムンザシ様を助けるというのは一体何のことなのか。 「だって貴方様は!」 「蛇神様でしょう?」 「その右目の赤い瞳が何よりの証拠!」  三人の化け物が叫び、それと同時に大きな口をぱかっと開けた。口から白いねばねばした糸が吐き出される。 「きゃっ……!」  白い糸はおろくに絡みついた。魂だけになったおろくの透明な体を忽ちのうちに覆い尽くしていく。 「蛇神様をムンザシ様の元へお連れします」 「ムンザシ様はきっと喜ばれる」 「ムンザシ様は蛇神様の力を得て蘇られるでしょう」  化け物達の声を夢のように聞きながら、おろくの意識は靄がかかるように白い色に塗りつぶされていった。               
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