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第4話 再会
(二)
生ぬるい風が寺の境内の木々の枝葉をバサバサと揺らした。空には月もなく、全てを押し包むような闇の中におろくの提灯の明かりだけがひっそりと煌めいている。
おろくは不意に不吉な予感を感じ、足を早める。
五日前の夜と同じように、浅草のボロ寺の庫裏を出て黒船町の長屋へと帰るところだった。
あの夜、侍の身投げを偶然目にしてからというもの、昨日までの数日間はこの賭場には足が遠のいていた。
(あたしのせいであのおサムライさんは……)
と、やはり思わずにはいられない。
良心の呵責とともに、このまま博打打ちなぞを続けていてよいのだろうか、という不安も心に湧いてくる。
しかし、当面のおろくの生活の糧は賭け事だけだ。今日はなんとか重い腰を上げて賭場に顔を出してみた。
相変わらず気分は晴れない。結局、五日前と同じように早めに座を立って帰ることにしたのだ。
「おろく」
大きな松の影から低い声が呼びかけた。声のする方に目を向ければ、闇の中にポツンと点のような赤い火が浮かんでいた。それが煙管の先の火皿に点る火だとわかるまでにしばらく間があった。
「なんだい、親分か……驚かさないでよ」
おろくはわざと素っ気なく言って久仁八の横を通り過ぎようとした。
「待てよ」
久仁八はおろくの肩をぐいと掴んだ。
「何すんのよ」
おろくは内心どきりとしながらもキッと久仁八をにらみつけた。
しかし、久仁八はすぐには答えなかった。
二人の間にしばしの沈黙が生まれた。
「あの男は……」
ようやく口を開いた久仁八の押し殺すような、低い声。
「あの男は、この寺にやってきた時から、初めから影が薄らいでいたぜ」
久仁八はそれだけ言うとおろくの肩から手を離した。
あとは、やはり何も言わない。暗闇の中で久仁八が煙管を吸い、ふぅっとゆっくり煙を吐き出す気配がする。
おろくも何も言わなかった。
久仁八はやがて、むせるような煙の匂いを残して庫裏の方へひっそりと去っていった。
おろくはその場から動けず、真っ黒な空を見上げながらそっと溜め息を吐く。
(影が薄かった、か……やっぱり親分にも見えてるんだ)
おろくは久仁八と初めて会った時に言われた言葉を思い出した。
「その赤い目玉で、見えるはずのないモノばかりを見ているんだな、お前は」
久仁八はそう言った。
見えるはずがないモノ……それは死んだ者達の魂の欠片、残像、死の香りがするもの。
お互いにはっきりと言いはしないものの、久仁八にもおろくに見えるようなものがきっと見えている。
だとすれば、久仁八もおろくと同じような孤独を抱いて生きてきたのか。久仁八が、おろくを拾い上げて曲がりなりにも自分達の仲間にしてくれたのも、理由はそこにあるのかもしれない。
あの男……大川に浮かんだ関川市之進とかいうサムライの「影」はもともと薄かった、そういうさだめにある命だった、だからおろくがサイコロで金を巻き上げたのが悪いのではない、気に病むな、と久仁八は言いたいのだろう。
だが、久仁八の心遣いを嬉しく思う一方で、おろくの頭からは依然として自らを責める暗い心が消えないでいた。
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