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(三)
久仁八と別れた後、いつものように川沿いの道を歩いて帰路に着いていたおろくは、柳の木の下でふと足を止めた。
提灯の明かりの向こうに二人の人間の重なり合う影。男と女らしい。
初め、おろくはお小夜が客を掴まえたのかと思った。しかし、様子がどうもおかしかった。
しばらく見ていておろくは気が付いた。青白い妖しげな気が陽炎のように男の体から立ち上っている。男の方はこの世の者ではないのだ。
女の方は、やはりお小夜だった。
男はお小夜に口づけていた。男の腕の中のお小夜はぴくりとも動かず、妙にぐったりして見える。
「お小夜ちゃん!」
強い胸騒ぎに、おろくは思わず叫んだ。
男がお小夜から体を離す。支えを失ったお小夜はガクリと地面に倒れ込んだ。
「お小夜ちゃん……!」
駆け寄って抱き起こす。お小夜の温かい体温が腕に伝わった。辛うじて生きてはいる。しかし、お小夜は完全に気を失っているらしく、瞼は堅く閉ざされたまま開こうとしない。
ゴフッと不吉な音がお小夜の喉の奥から鳴る。
お小夜の体が跳ねるように何度か震えた。その口からはどろりとした血が見る見る内に迸り落ちて顎を伝わり、おろくの腕の上にポタリポタリと滴った。
おろくの中でお小夜の命が消えていく。
呆然とするおろくの視界の端で、傍らに佇む男の手が糸を引き寄せるようにクイクイ、と動いた。その動きに合わせて、お小夜の口からぼんやりと仄明るい光の玉が引きずり出される。
「やめて!」
おろくは顔を上げて男を見た。
そこにいたのは、やはり、五日前、大川に身を投げた関川市之進の魂を連れて行ったあの男だった。
「……こりゃあ俺の仕事でねぇ。やめろと言われても連れて行かねぇわけにゃあ行かねぇのよ。……命が尽きたんだ。これがこの女のさだめさ……俺はそれに従って迎えに来ただけだ」
男はお小夜の魂を手にとって懐につっこむと、おろくの方を見てニッと笑った。
「まぁ、お前さんの時は俺が間違って連れていっちまったんだけどな」
この男とはずっと前にどこかで会ったことがある。おろくは再度確信する。
でも、どこで……? いつ……?
おろくの頭の奥がズキリと痛みを訴えた。眉根をしかめる。
「おろく、俺を覚えているか?」
男がおろくの顔をのぞき込む。
「あんたは……」
おろくの頭の中で忘れかけていた記憶の欠片が目まぐるしく明滅する。
炎に追われて逃げまどう人たち……大きな川のほとり……手を引かれて歩いた……握られた手の温かさ……たくさんのタライ……魚のように泳ぐ色とりどりの目玉達……目玉売りのおじちゃん……赤い瞳……蛇神様の目玉……こわぁい顔をした鬼……
「あんたは……死神……?」
動悸が早まり、声が震える。
思い出してはいけないことを思いだそうとしている。自分自身でそう感じた。
「名前は、さの……さの……」
「左之吉だ」
男はさらりと答えた。
「覚えていてもらって嬉しいぜ、おろく」
死神はククッと喉を鳴らして笑う。一見優しそうでいながらどこかに残酷な冷たさを感じさせる笑顔だった。
おろくの背中に得体の知れない震えが這い上がる。
本当は見てはいけなかったのではないか。会ってはいけなかったのではないか。この男に。
目眩がする。おろくは、下唇をぎゅっと噛みながら耐えた。
おろくの腕に抱かれたお小夜の体からは、いつの間にか体温を失われている。ひんやりしたお小夜の肌の感触が、おろくの意識を辛うじて正気につなぎ止めていた。
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