第1章

115/135

3人が本棚に入れています
本棚に追加
/135ページ
僕は大きく両手を広げて見せた。「何か変な感じ?」と言って千賀子は笑っていた。その言い方がおかしくて僕も笑いながら、「行くぞ」と言って、ゼロヨンでもするみたいに猛烈にスタートした。そして、全力で丘の上に駆け上がった。エンジンがうなりビリビリという振動が伝わってくる。車速はもう充分のっている。丘の頂上を越えたくらいで、スッとクラッチを切った。僕は合図して前傾姿勢をとった。  このクラッチを切るという技は長い上り坂を登ったあと、エンジンを冷やそうと下りでクラッチを切ってみて偶然発見したものだ。これをやると、エンジンの力に裏付けられた強力な推進力と剛性感がなくなり、125の華奢なボディのバイクはまるでその存在をかき消すように頼りなくなる。その後にすーっと落ちる自由落下のような感じがする。そして、わずかなタイヤノイズと、ピューピューというピュアな風の音だけが聞こえてきてくる。そこで体を大きく広げると、ゲル状の塊のような空気とぶつかって、まるで自分がふわりと風に乗って飛んでいるような感じがするのだ。  両手を広げていた千賀子が、後ろでさかんにはしゃいでいる。 「草の絨毯の上を飛んでる!」  内心怖がられたらどうしようと思っていたが、千賀子も気に入ってくれたようだ。それにしても草の絨毯の上を飛んでいるとは良く言ったものだ。波打つ丘陵の美しい風景を、そう言い換えてもいいかも知れない。  目の前には青空が広がっている。  丘陵は幾重にも重なり、その深い緑は風にそよいでいる。  そうした風景の中に、僕らを乗せたバイクが翼を翻した鳥のように吸い込まれていった。車速は今80くらいだ。名残惜しいが、直線も終わりなので、この辺で空の旅を終わらなくてはならない。坂を下りきったところでUターンしていると、「ねえ、帰り道でもう一回やろう」と千賀子が明るく言った。  とある展望台に着いた時には、もう2時を越えていた。
/135ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加