第1章

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 丘に向かう細い道の両側には草原が広がっていて、強い風に曝された草はまるで波のうねりのように揺さぶられている。  千賀子は後席で何も言わず僕にしがみついている。  千賀子の言う丘に着いた時には、もう夕焼け空になっていた。  風はさっきから強く吹いている。  千賀子はバイクを降りると、2・3歩歩いてかがみこんだ。見つめる先には2本の木があった。その木は頭に丸い枝葉を載せたようなかたちをしていて、わずかな距離をおいて並んでいる。  何故千賀子がここに来たかったのか、それはわからない。ただ、何事か思い詰めているのは確かだ。こんな時、僕はどうしたらいいのだろうか?このまま黙っている方がいいのか?それとも、何か話しかけた方がいいのか?わからないから、そのままの時間が流れて行った。やがて、千賀子は立ちあがって僕の方に振り返り、無理につくったような笑顔を見せて言い出した。 「ごめんね、貴志くん。何か変だね、私。もういいから、帰ろ」  後から考えると、その時僕はまた不用意なことを言ってしまった。 「もういいの?せっかくだから記念にこの木に名前を彫りつけていこうよ。こっちが千賀子の木で、向こうが俺の木。どう?」  それは、最初にこの2本の木を見た時からひらめいていたアイディアだった。それを、つい口に出した。僕は千賀子の木に近づいてバイクのキーで樹皮に名前を刻もうとしたがうまくいかなかったので、車載工具のドライバーを使おうと思った。それで振り返ると、僕とバイクの間に立っている千賀子が呆然とした様子で突っ立っている。 つるべおとしのような夕日は、既に茜色の残光を残すのみだった。 「まいったな・・・」  千賀子は顔を伏せた。 「なにが?」 「どうして、貴志くんまで同じ事を言うのかなあ・・・」 「え?何、それ」 「彼もね、同じ事を言ったんだよ。こっちが私の木で向こうが俺の木だって」  千賀子は何を言っているのだろう?彼って誰?失恋相手のことか? 「あなたは似ているのよ、彼に。それに、何故同じことまで言うの?ねえ、何で?」  そんなことを言われても僕にはさっぱり何のことだかわからない。少なくとも僕は誰かの代役らしい。それはそれでかなりショックだ。初めて会った時から何かうまくいきすぎるとは思っていたが、それにしてもそんなことを、わざわざ言わなくてもいいじゃないか。
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