▽エピソードその十三▽

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女性に歯を当てられるのは初めてのことだったが、なんだか少し気持ちよかった。体が痺れるような感覚だった。 ボクたちは何度も体を入れ替えては、その都度の感触を確かめていた。ボクも二回戦であるがゆえに、意図せず暴発するようなこともないだろう。 それでもタンゴもワルツもバラードも踊りつくし、やや朦朧とした意識の中、そろそろ大団円に導こうとする頃、彼女の耳元で囁いてみた。 「これからずっと一緒に居られるといいね。」 すると彼女は思いもよらぬ返事を投げかけた。 「ミサの赴任、遠いところになりそう。」 「もうわかってるの?」 「なんとなく。」 「それでも出来るだけ会いに行くから。」 「うん、来て。」 そう言って彼女はボクの腰をギュッと抱き寄せた。ボクはラストスパートのつもりで激しいジルバを踊る。もう限界だ。それがわかったのか、 「いいのよ。そのままで。」 ボクのリミッターはとっくに外れていたため、何も抗うことなく、快感を伴う銃撃は彼女の中に放たれていた。今までにない最高の刺激だった。 「ありがとう。愛してる。キミを想う気持ちがさらに強くなった。」 「うん私も。もうアッくんを離さない。アッくんだけだもん、ホントに偶然に出会えたのは。」 「でも遠くってどこ?」 「うん。ロンドンかな?パリかな?もしかしたらにルーマニアに戻るかも。」 なんだか急にとてつもなく遠すぎる話になる。札幌や福岡でも遠い話なのに、全てがヨーロッパに集中している。 「うふふ、アッくんも一緒に行くのよ、私と。」 「えっ?そんなに遠くには行けないよ。」 「大丈夫。私が連れて行くから。」 なんだか急におかしな展開の話になっている。しかし、それにしてもこの体の脱力感は何だ。普通に交渉が終わった後の脱力感とは明らかに違う。 霞みそうな目をこすってミサをよく見ると、彼女の上下の犬歯が異様に長いのに気付く。しかもその先端が少し赤い。 「どうしたのその歯?それって血?」 「気のせいよ。それよりも、もっと抱いて。」 彼女の体からは明らかに血の臭いがしている。ハッとして首筋に手を当てると、手のひらにニチャッとした感触が伝わってきた。その手を恐る恐る目前にかざすと、真っ赤な血がこびりついていた。 「なんだこれは。」 と叫ぶ間もなく、ミサはボクの首筋に再び歯を当てている。けれども痛みは無い。神経が麻痺しているようだ。
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