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▽エピソードその三▽
その日は特に決まった用事の無い水曜日のことだった。
昼休みはいつも適当に一人で時間を過ごすのだが、ランチで食べた大盛りのナポリタンが胃袋の中でややもたれ気味だなと感じ始めていた頃、不意にケータイがブンブンと震え始めた。ヒデからの着信だった。
「おーい、今夜空いてるか?」
「空いてるけど、どうした?」
「新宿近辺で、どこか美味い日本酒を飲ませる居酒屋をしらないか?」
「そうだな、中央通の右手に『大町食堂』っていうのがあって、その角を東に入ったところにある『魚の越後屋』って言う店にウチが卸した日本酒が入ってるよ。」
「そうか、今夜そこへ行かないか?オレの奢りでいいぜ。」
「いいけど、どうした?競馬でも当たったか?」
「詳しいことはそこで話す。じゃあ、そこに七時でどうだ?」
「わかった。」
中々消化しきれそうにないナポリタンがまだ腹の中に溜まっている状態で、夕飯のことを想像するには少し辛いものもあったが、ヒデが奢るというのだから、行かぬ訳にもいくまいて。都合のいいことに今日はノー残業デーだ。時間通りに行けるだろう。
「しかし、一体どういう風の吹き回しだろう。」
そんなことを考えながら午後の仕事をこなす事になるのである。
そして午後七時。
約束どおり『魚の越後屋』に到着したボクは、店の中でヒデを待つ。
得意先の一つでもあり、店長とも顔見知りなボクは、カウンターで仕事の話を絡めながら、他愛の無い会話などで時間を潰していた。
やがて、さほど遅れることなく店の暖簾をくぐったヒデは、ボクの顔を見つけるなり「よおっ。」と声をかけた。
そしてボクの隣にむんずと座ると、
「さあ、この店のイチ推しを教えておくれ。それからいこう。」
「一体どうしたって言うんだい。」
「いいから、後でゆっくり話してやるよ。」
ボクは京都伏見の日本酒と刺身の盛り合わせやいくつかの焼き物を注文した。
すぐさま日本酒とお通しが運ばれてくると、早速、乾杯から宴会が始まる。
「ほお、これが美味いとされる日本酒なのか。オレにはあんまりよくわからんけどな。」
「で、一体どんな風の吹き回しなんだ?」
ヒデは落ち着いて一息入れると、うれしそうな顔で話を始める。
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