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「ちい」
そう呼ばれたような気がして、私は振り返った。
人影もまばらな、平日の午後の駅のホーム。
そこに、私を呼ぶ人はいない。
バカみたい。
私は自分に苦笑いして、重い荷物を持ち直した。
春の柔らかい風が、私の肩の緊張をほぐしていく。
この町にはもう、彼はいないんだから。
「いつまでも、未練がましいなぁ」
声に出して言ってみてから、私は首を振って歩き出す。
いつまでもいつまでも、彼のあの声が、私の耳から離れてくれない。
もう、7年もたつというのに。
”ちい”
私をそう呼ぶのは、たった一人だけ。
その彼は、あの日、私に冷たい視線を残して、背中を向けたんだ。
ああ、やだやだ。
新しい門出だというのに。
7年前に引きずられてしまう思いを振り切るように、わざと足音を立てて、改札を通った。
都会でもなく、かといって観光客を呼べるほどの田舎でもない。
中途半端な郊外の町。
ここに私は、7年ぶりに帰ってきた。
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