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電車で帰るアズとエータの終電に合わせて飲み会はお開きになった。
アズは幾つか掛け持っているバイトのうち早朝のものがあるため、遊んでも大抵帰りが早い。こんな時間に電車に乗ることがあまりない。
家賃の安さに惹かれて選んだ地域なので、夜遅くはひと気が少なく、夜歩きは控えるようにしている。
夢見心地だった。
明日、早朝バイトが休みの日で良かったと心底思った。夕方の帰りの電車の中のうたた寝中に見る夢かもしれないと、半ば本気で考えてしまった。
最近寄りっぱなしだったらしい眉間の皺は今日は消えていたらしい。
開放的な時間を楽しんだ。しかし終わってしまえば喪失感に苛まれて、物悲しさが付き纏うのではないかと思うと不安になった。
満たされた時間はまだ続いている。隣にはエータが居る。
もうすぐ電車が来て自分の最寄り駅に辿り着いたら、現実に戻る。あぁ――。
アズはうっかり溜息を吐きそうになって、慌てて飲み込んだ。
エータはアズの内心をなんとなく読み取って、つんとおでこを突いてやった。
おでこを抑えて上を向いたアズは、煮え切らない表情を浮かべている。
「変わらないなぁ」
そう漏らしてからエータは、屈みこんでアズの顔を覗きこんだ。
こんなアズもエータはずっと前から知っている。ミナミは再会したアズに戸惑いを覚えていたけれど、エータにとっては懐かしくて愛しい顔だった。
エータだって夢見心地だった。
割と至近距離なのに互いになんの不自然さも感じないなんて。
そんなことを心地良く感じながら、エータの高い背を窮屈そうに屈めている姿が段々可笑しくなってきたアズは、くすくす笑った。
エータはその様子に満足すると姿勢を戻した。
「アズは放っておくと直ぐここに皺寄せる」
もう一度エータはアズのおでこを押して窘めた。
「そんなつもり、ないんだけれどなあ」
アズは苦笑い交じりにそう返した。
その遣り取りに、まるで十年も経っていないかのような感覚を覚える。それが自分の一方的な感覚でなければいいと、アズもエータも思った。
エータの自然体でいるという気の遣い方は、アズに至福の安らぎを与えてくれる。アズの自分の前で繕わないさまざまな顔は、エータの心を穏やかに満たしてくれる。
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