第2話

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 帰りたくないなとアズは思った。  アズは電車のドアの開く音が、ほっと一息吐いたみたいで好きだ。けれど今日だけはその音が不気味に聞こえた。まるで吸い込まれるように終電に飲み込まれるのが怖かった。  さっさと乗車したエータの後ろで、自然とアズは足を止めた。どうしてか一歩が出なかった。  帰るのが惜しい。  帰りたくない。  そんな我儘な自分に戸惑った。  自問自答をアズはぐるぐる繰り返した。  気づいたエータは慌てて振り返り、手を差し出した。  やっと実現した再会に、エータだって嬉しくて仕方がなく、帰るのが惜しい。  しかし彼は決めていた。  もう出来ることなら、これからはずっとそばに居よう。アズがそれを良しとくれるならば。  不思議なもので自然と手を取ったアズは、やっぱりいつものように電車に吸い込まれ、先ほど感じた妙な恐怖などすぐに一掃された。  エータは昔から背が高かった。手が大きかった。  大きな手。男の人の手。  差し出された手を取った瞬間、ぎゅっと握り返された。その手は電車が動き出しても解かれることはなかった。  どきどき踊る胸の内と、それ以上にアズは安心感を抱いて電車に揺れた。  ふたりは多くは話さない。そこが丁度良い温度だった。  楽しく賑やかにおしゃべりするのは、もちろんアズも嫌いではない。けれど同時に疲労感も激しい。  ゆったりとした時間が一番心地良い。しゃべりたいことがあれば、どちらともなくしゃべりだす。そのままおしゃべりが止まらないこともある。  そこにはふたりだけの心地良いリズムがあった。その緩やかさが気持ち良いのだ。  惜しむ気持ちとは裏腹に、アズはこの心地良いリズムにゆったりと身を委ねた。がたごとと揺れる電車は自分たちの好むリズムに限りなく近い。  しかし、ゆっくりと流れていた温かい時間は最寄り駅への到着、ではなく、ケータイのバイブレーションによって壊された。  アズはメールの内容を確認することなく表情を曇らせた。  エータはそれを見逃さなかった。見逃すはずがない。彼はずっとアズのことを見つめていたのだ。  アズはその後、エータから飛び出した言葉に驚いた。 「しつこい奴には嘘でもずばっと言わないとわからないよ」  今自分が困らされている状況をなに一つ彼に話していない。一瞬、エータはエスパー?! と間抜けな思考が走った。  そのままそれは口に出てしまっていたようで、エータが楽しそうだ。  すると、エータは素知らぬ顔でこう言ってのけた。 「そう。俺はアズのことなら何でもお見通しなんだ」
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