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 実家の平屋にリフォーム業者を呼んだのは、ある春の日のこと。  この家に私達一家が住みはじめて3年になる。ここは私が生まれ育った家。地方都市の、でも県庁所在地にある住宅街の一軒家。  両親は事故でいっぺんに死んでしまった。花を見に行った帰り、父の運転する車が誤って崖から転落した。だから一人娘である私が、この家を相続する運びになった。夫の会社の社宅に住んでいた私達は、私たっての希望で、主がいなくなったこの家に引っ越してきたのだ。  私はとても大切に育てられたから、両親に深い愛情を持っていた。見合いで結婚して実家を出てからも、週に一度は何かと理由をつけて実家に帰っていた。  それは私達夫婦の間に子供が出来ると頻度を増した。私はつわりの期間をほとんど実家で寝て過ごした。出産してからも両親は孫である弘樹(ひろき)の顔を熱望していたから、暇さえあれば子連れで実家を詣でた。弘樹が産まれてからは、週に4日は実家で昼食を食べていたのではないだろうか。  甘やかされていたと、今になれば思う。過保護なまでに愛された私は、そのせいか昔から精神的に弱い面がある。けれどそれすらも包み込むように、両親は私に大きな愛を注いでくれていた。  それは死してもなお同じで、私達家族はこの平屋とそれなりの額の現金を手にした。夫はこの現金で、新しく立派なうわものを建て直そうと言った。けれど私は頑なにそれを拒んだ。父と母の匂いがするこの平屋に住むのだと言い張った。  3年住んで、やっとリフォームの手を入れる気になった。増築もする予定だ。弘樹の子供部屋も欲しかったし、夫婦の寝室を洋間に改装したかった。父と母と私の3人で布団を並べて寝た座敷と、ようやく決別する決意が出来たのだ。    業者を呼んでの打ち合せと見積りに3ヵ月をかけた。増築には法的な申請が必要とかで、そういった手続きにも時間がかかった。気付けば季節は夏に変わっていた。増築部分の基礎工事は梅雨のうちに済ませたけれど、7月を半分以上使って行われる工事が近づくにつれ、私は自分でも分かるほどに精神的に不安定になっていった。  両親が本当にいなくなってしまうような気がして。私という人間を育んでくれた愛に溢れたこの空間が、全く別のものになってしまうような気がして。
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