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 私は一瞬の躊躇もなくその高い場所にある肩に両手ですがりついた。弘樹を放り投げて空っぽになった腕を空に伸ばして、新庄宗一は顔だけで私を見下ろす。 「……え?」  時間が止まったような気がした。  新庄宗一が私に向けた顔は笑顔。あの真っ黒な目が笑っている。笑ったまま、自分に向けられた突然の拒絶に驚いている。『なにが、いけないんですか?』  この男は本心から弘樹を喜ばせようとしているのだ。あの空虚だった表情が嘘のような満面の笑顔。そしてそれを静止しようとする母親の訴えが理解出来ないでいる。  『こんなに喜んでくれてるのに』  『こんなこと僕しか出来ないでしょ』  『僕、何か間違ってますか?』  一瞬の笑顔にそんな疑問を滲ませている。空から弘樹が、降ってくる。 「弘樹、弘樹、弘樹――――――!」  じたばたと腕を伸ばして、私は弘樹を奪おうとする。この男が弘樹を受け止める保証がどこにあるというのだ。強烈に漂う違和感。この男は異質だ。このまま手を引っ込めて、弘樹をぐしゃりと落としてしまっても何の不思議もないではないか。 「あ、あ、危ないですよ奥さんっ!! どいてっ」  その時新庄宗一が私を腰で突き飛ばす。クロックスのつま先がつんのめって私はよろめく。そのまま土の庭に横滑りに身を投げ出した私は、すぐさま身を起こし愛する息子の下敷きになるべく地を這いながら空を仰ぐ。 「弘樹っ! ひろき、ひろきひろき……」 「マーマ、あぶないよお。おにいちゃんがぼくを落としちゃうじゃないか。だいじょうぶ? いたいいたいなの?」   ……その時すとん、と柔らかく地上に降りてきた弘樹が、私の頬に小さな手を添える。同じ目線の弘樹に拭われて、私は自分の頬に涙が流れているのだと気付く。  楽しい遊びを奪われて、少し拗ねたような表情。私の全身から緊張が解けて涙になって溢れ出る。良かった。弘樹が無事に地上に戻った。良かった、良かった良かった……! 「……すみませんでした。喜ばせてあげたかっただけなんです。俺、子供が好きで……」  土を握り締めたまま泣く私に、真夏の上空からあの低い声が降ってくる。逆光になってその表情は見えない。けれどその声は、戸惑いを超え困惑をはらんで細かく震えている。
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