32人が本棚に入れています
本棚に追加
5話 左遷
「花城部長、これでよろしいでしょうか? 私の渾身の稟議書です。決裁をお願いします!!」
直属の部下である秋谷が、分厚いファイルを片手に新たなプロジェクトの最終決裁の可否を求めてきた。
嫌な案件がまわってきた……。いや、ついにまわってきたというべきか。これは、雨池専務のゴリ推し案件だ。ただでさえ、役員案件はめんどくさいのに、それも雨池のものと考えるとウンザリする。得体のわからない共同開発会社をいきなり連れてきて、専務が強引に進めたがっているという報告は前から聞いていたが、詳しくは知らない。さすがに専務を前面に出すわけにいかず、我々の部署に回され、秋谷を直担としたのだ。
改めて、ゆっくりと書類に目を通してみた。なんだこれは。正直なんの面白みもなければ、斬新さもない。それどころか、当社にとってのリスクしか感じられない。失敗する可能性が高いだろう。さぁ、どうしたもんだろうか。。
秋谷の渾身とやらの稟議書の中には、『初期の共同開発費は高いが、早期に収益で回収できる優良案件』、つまり、確実に儲かると書かれている。
普通に考えれば、こんなクソ案件は「没!」だ。ただ、専務が露骨なプレッシャーを与えてくる。「例の案件の決裁はまだですか?なにか、お手伝いしましょうか?」先ほども、専務から急かすメールが何度もきている。私が否決したとしても、役員に書類が上がり、結果としては強引に進められるだろう。私には部長という役職はついているが、止める権利もなく、虫けらのように無力だ。
雨池専務は社長の縁戚、いわゆる創業家……。
我が社は上場会社とはいえ、オーナー企業の側面が強い。
「……わかった。進めてくれ。そのかわり、しっかりやってくれ。なにかあったら、すぐに報告すること」
それにしても、私の教育が悪いのだろうが、秋谷が作成した稟議資料は、恥ずかしいくらい拙いものだ。誤字脱字が多く、なにを言いたいのかもよくわからない文面。こんなしょうもない書類のために、先週から彼に残業代を払っていたかと情けなく思う。先日みた遺伝子検査会社のプレゼン資料のほうが、遥かにレベルは上だ。
秋谷には、特別な期待がある。もう、この部署にきて約2年、私が部長職になってからの初めての部下だった。そろそろ一人前になって欲しいところなのだが、マイペースな性格が足を引っ張り、なかなか成長を見せないので、もどかしい。たまに、2人で飲みにいこうと誘っても、お酒が飲めないと、きっぱりと断られる有様だ
。
手直しをさせる時間もなく、承認欄に私の判子を押した。秋谷は、自分の実力が認められたかのように意気揚々と自分のデスクに戻った。
その様子をぼんやり見ながら、赤海理事長と会ったときのことを思い出し、私は何者なのだろうかと考えた。彼が話したことをすべて信じているわけではない。
自分なりに遺伝子、Y染色体について調べてみたが、それなりに学術的にも正しいものであった。ただ、Uタイプの存在も、そもそも20億もの資金力がある財団法人の存在も探し出すことさえもできなかった。詐欺ではないが、オカルト宗教の一種ではないかとも疑った。これ以上は、足を踏み入れるのをやめようと思った。
最初のコメントを投稿しよう!