32人が本棚に入れています
本棚に追加
停車したターミナル駅で、さらに乗客が乗り込んできた。接続する路線で人身事故があったらしい。あっという間に、人間の大洪水によって電車内の中央部分まで押し出された。
最近は、真面目なものがバカを見る時代である。綺麗なお姉さんが近くにいたため、痴漢に間違われると困るので、両手をとっさに上げると、我ながら変な格好になってしまった……。
「おっさん、ふざんけんな!!」
大洪水のなかで、怒鳴り声が聞こえた。その大きな声の標的が自分かと思い、咄嗟に身構える。どうやら、違ったようだ。
最初から電車に乗っていたのは、サファリハットを深くかぶった年齢不詳のおっさん。その顔は、輪郭が四角くて、眉が太くて目はぱっちりとした二重まぶた、唇が厚い。
いまの駅から乗り込んできたのが、金髪の若者。その顔は、輪郭が丸く、眉は細くて目は切れ長の一重まぶた、鼻は細く、唇も薄いのが特徴的だ。こいつが、混乱の元凶だ。
そんな対照的なビジュアルの二人が、満員電車という狭い世界でもめ始めた。
「おっさん、ぶつかっておいて、謝れよ。こんなに混んでいるのに邪魔なんだよ!! お前、顔も気持ち悪いんだよ」
「すみません。すみません。やめてください……」
おっさんの何が入ってるかわからない大きなリュックが邪魔だったらしい。おっさんは、下をむいて嵐がやむのを待ってる。
カマキリは、後方から大きな鎌をフックし、獲物を身動き出来なくさせてから体節の継ぎ目に噛み付いてゆっくり仕留めるという。
周りの乗客は、まるで二人がいないものとして存在を消して放置している。それよりも、この息苦しいところから、早く脱出したいと考えているのだろう。私もその一人だ。静寂の電車のなかで、カマキリの鳴き声が響き渡る。
「次の駅で降りろ。キモい顔殴ってやる!!」
しかし、おっさんは降りようとはしなかった。はやく、降りてくれ……と乗客は全員思った。
おっさんは、恐怖で怯えているのだろうか……。身体が小刻みに揺れている。おっさんから絞り出すかのように、震えた声がもれる。
「イ・・・マハヤミ イマニモロケセ・・・」
まわりの乗客どころか、狩りの最中であるカマキリにも聞こえていないだろう。私には、おっさんが放ったその呪文のようなものがはっきり聞こえた。このおっさん、大丈夫か。それとも、オタクなのか? 気持ちわる……。
「なに、ブツブツ言ってんだ!!ほんと、気持ち悪いやつだな。ぶっ殺すぞ……」
最初のコメントを投稿しよう!