2話 審判

1/4

31人が本棚に入れています
本棚に追加
/154ページ

2話 審判

 自宅に帰ると、光輝が満面の笑みで出迎えてくれた。最近、ハイハイができることが楽しくてしょうがない息子は、暗闇の廊下からバタバタと足音をたててやってきた。父ちゃんが帰ってくるのを待っていたのだろうか。  光輝のもち肌のほっぺにスリスリする。なんとも言えない人の温かさと幸福感を感じる。今日1日で受けたストレスが一瞬にして成仏していく。 「今期に入ってからの貴様らの部内の業績の悪さはなんだ。無能なお前らが、会社の足を引っ張っているんだ。給料泥棒め! この部署の責任者は誰だ?お前だ。つまり、お前が悪い!!」  日中、営業担当の役員である雨池専務に呼び出された。赤点をとった中学生のように、立たされ、書類を顔面に投げつけられた。普通の会社ならば、この事案を公益通報したら、速攻でパワハラ認定だろう。私には、嫌なことを右の耳からいれて、左の耳からたれ流すことができる特技をもっている。にもかかわらず、専務からの延々と続く嫌味と怒号に心が折れ、ダメージが残った。  だが、その嫌なことも帳消しとなるくらいのとびっきりの光輝の笑顔だ。世界の人に見てほしい。この目元なんて、俺そっくりではないか!  当然ながら、台所にいるはずの専業主婦の妻からの出迎えはない。ただ、玄関までカレーの香ばしい匂いが漂っていた。今日は昼もろくに食えなかったので、腹が減ってしょうがない今日は特別に許すことにした。  大皿てんこ盛りにしたカレーライスを、自分でよそって、力一杯に頬張った。夫婦の会話はあまりないが、普段からできるだけ私から話をするようにしている。それが、夫婦円満の秘訣だと立ち読みした本に書いてあった。  今回のネタは、帰りの電車で起きた「縄張り争い」だ。脚色をつけながら、手振り身振りをつけて話した。  おっさんとカマキリの闘いを、ここまで面白おかしく話したにも関わらず、妻は相槌を打つだけで、まったく、興味を示さない。  長年、共に暮らしてると言葉を交わさなくても夫婦とはわかりあえるものだ。私にはわかる。今日の彼女は機嫌がすこぶる悪い。  妻は、息子が一日中ぐずって大変だった話を延々と続けた。あなたは、昼は仕事に逃げられていいわねときたもんだ。結局は、会社でも家でも同じことを繰り返すだけだ。私の特技を出すときがきた。それっ!!  しばらくは、妻の愚痴を修行僧のように耐えた。さすがにこれ以上は限界だと思い、無理やり、違う話題をぶっ込んで見る。 「まだ、早いとは思うんだけど、光輝の習い事とかどうする? 英会話とかいいんじゃないかなと思うんだけど……」 「ん…そうね。いいんじゃない。英語とかは早いうちから始めた方がいいと聞くもんね。それで、いくらぐらいするの? 」と意外にも妻も乗ってきた。 「ピンからキリまであるけど、電車の広告に流れていたのは英会話教材一式で、20万くらいとかな……」
/154ページ

最初のコメントを投稿しよう!

31人が本棚に入れています
本棚に追加