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主人に噛みついた犬が後悔してやるように、恐る恐る舐めた。
「樹人……」
「黄吉たちが来るのっていつ?」
「来週よ。神社の、花鎮めの祭りに合わせて」
言葉を交わす間も樹人の手は休まらない。瑠璃の白い脚が粟立つ。その靴下を脱がせた樹人は、足の指先に口づけた。それから、指の間に舌を這わせる。湿った音が静かなリビングに響く。その音をぼうとした頭で聴きながら、樹人の咽喉が悪かったことを思い出す。檸檬ジュースを作らなくては。甘くて酸っぱくて。少し苦い。たっぷりの蜂蜜と、摩り下ろした生姜を入れよう。樹人の為に作りたいのに、肝心の樹人がそれを許してくれない。瑠璃は樹人を拒めない。拒まない。
セーラー服は脱がされて、脱け殻である黒いわだかまりが濃緑の横に出来ている。緑にたかる甲虫に似ている。
残照の、どこか現から離れたような感覚の中、樹人の手と唇、舌の動きだけが鮮明で、瑠璃はあるかなしか解らないようなか細い息を吐いた。暮れた空の色合いは趣深い美しさだったが、瑠璃にそれを見ることは叶わない。それより清澄に黄色い檸檬の香気が、今は慕わしかった。
じわり湧く。
ものがある。
瑠璃は樹人が憎い。とても。とても憎い。
銀色に煌めく刃で刺したい。
自分の心を奪ってしまった。瑠璃の心は樹人に縫い止められた。
瑠璃は樹人が愛しい。何よりも誰よりも愛しい。
罪深さを凌駕して余りある。
銀色でもし樹人が死んだなら。
自分もあとを追って死ぬのだろう。
狂ってる。
解ってる。
早く、檸檬。私を助けて。
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