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檸檬
瑠璃と樹人の父は秘境カメラマンで、母は記者として彼に随行している。二人の居場所はこの美麗だが狭隘な家ではなく、世界の神秘なのだ。世界が見せる美しさなのだ。それらの前に、瑠璃と樹人が高校生になった年、二人は飛び出して行った。周到なことに、それまでの間、我が子たちが親なしでも暮らせるよう家事の一切を仕込んで行った。
それでも両親は家に残した子供たちのことを気に掛け、旅先から葉書や珍しい品などを送ってくれた。それなりの後ろめたさはあったらしい。
「相宮。弟のほうは、今日は休みのようだが」
「坂崎先生」
学校で、斜陽の刻限、数学教師で樹人の担任でもある坂崎鞘斗が銀縁の眼鏡を押し上げながら、帰ろうとしていた瑠璃を呼び止めた。学校の廊下が長く、陰影を帯びて伸びている。その一角、低いところに取りつけられた赤い消火器の色が、やけに鮮烈だった。すれ違う女子生徒が挨拶しながら坂崎をちらりと横目で見る。背が高く、教員の中でも容貌の整った坂崎は女子に人気がある。
「風邪をひいたとか」
「はい」
半分、本当で半分、嘘だ。
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