即興劇

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 大学を追われた唐沢はしばらく職を転々としていたようだが、ほどなく劇団(母は肝心の劇団名を知らなかった。なんでも、魚のような名前らしい)を立ち上げた。女癖が悪かろうと、彼の作劇の手腕は誰もが認めるところであったから、新規立ち上げにもかかわらず、少なからぬ人員が集まった。  俳優業に転身する団員も、一人か二人あったそうだから、個人劇団としては先ず好調の部類だろう。  母も結婚して忙しくしていて、唐沢のことなど念頭になかったが、近年、婦人会の寄り合いで懐かしい顔に出くわした。在学中、唐沢に孕まされた女生徒の一人だった。当時はガリガリの痩せっぽちだった彼女も、今では福々と肥えていた。結婚して三年になるらしい。 「そう、結婚おめでとう。お子さんは?」 「長兄がね、去年産まれたの。苦労して産んだだけ可愛さも一入よ」 「いいわねえ。男の子は大体、六歳くらいまでがかあいらしいわね。天使よ、まるで。でも、大きくなると駄目ねえ。うちのでかいのったら」  取りとめもないことを話しているうち、話頭は旧知の人物の現在に向かった。みどりさんはどうしてるかしら、と母は聞いた。これも、唐沢に弄ばれた女生徒の一人であった。 「みどりは、自殺したわ」言葉少なく、彼女は顔を曇らせた。 「あの子、馬鹿なのよ。あんなことがあったのに、唐沢君の追っかけなんてしていたんだもの」  母は生唾を呑みこんだ。とまれ、恋情の真実は余人の想像の及ぶ限りではない。二人はしばらく瞑目した。     
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