第2話 噂と自傷行為

1/2
977人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ

第2話 噂と自傷行為

   初めはよく分からない出所から立った噂なのだと、香彩(かさい)は思っていた。  城下街である紅麗には仕事や使いで行くこともある上に、竜紅人(りゅこうと)司冠(しこう)という任に就いている。  司冠(しこう)とは、法令を司り、契約の証人の管理等を司どる大司冠(だいしこう)の補佐官だ。  大司冠の仕事の中には麗国内の商法、店舗の契約管理も含まれていて、大司冠、司冠の役職にあるものは月に一度、監査と称して、提出された商法内容に契約違反がないかどうかを調べるために、直接店舗に出向く。  それが丁度、遊楼の範囲だったことから、通いつめていると誤解されたのではないかと、そう思っていた。    噂が本当なのだと分かったのは、紅麗(くれい)の大通りによく出る装飾品を取り扱う屋台で、偶然、竜紅人(りゅこうと)を見てしまったからだ。  人情味はあるが、粗野な部分も持ち合わせている彼にとって、装飾品とはあまり縁がないものだと香彩(かさい)は思っていた。  それがどうだろう。  綺麗な花の飾りが付いた、髪結い用の綾紐を選ぶ彼の目は、真剣そのものだった。       あまりの直向(ひたむ)きさに、見てはいけないものを見た様な気がした。香彩(かさい)竜紅人(りゅこうと)に声を掛けることはせず、だがどうしても気になって、隠れて様子を伺うことにしたのだ。  竜紅人(りゅこうと)の選んだものは、神桜(しんおう)の花弁をあしらった綾紐だった。 (──っ!)  綾紐を見ながら淡く笑む竜紅人(りゅこうと)に、心の臓を鷲掴みにされた様な、ずきんとした痛みが走る。  店主に綺麗に包んで貰ったそれを大事そうに持って、竜紅人(りゅこうと)は紅麗の大通りの人混みを、すり抜けるようにして歩いて行った。  跡なんて付けなければよかったと、今になって思う。  何故なら竜紅人(りゅこうと)は、大通りから少し外れた遊楼の集まる袋小路の奥へと入り、声掛けをしている店子と何やら話をしていたかと思うと、見世の中へ入ってしまったのだから。  足元から何かが、崩れて落ちていく様なあの感覚は、多分一生忘れはしないだろう。  綾紐を選んでいた時に見せていたあの笑みは、これから会う者を思い浮かべて見せた笑みに、違いなかった。 (……よりにもよって、神桜(しんおう)だなんて)  神桜は城の中庭にある藤色に近い色をした桜で、春の出会いと別れの季節と、秋の衰退と次の世代の為の季節に、咲き誇る。  神桜は月映えに彩られて咲く際に、甘い芳香を放つのだ。故に神桜を『神彩の香桜(かおう)』と呼ぶ者もいる。        香彩(かさい)の名前は、ここから付けられたのだ。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!