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Day story 62-⑱「クレマチスの戦姫」
【Scene:18「友の願いと共に」】
皮肉げに笑うとケールニヒは肩を竦めた。
「不可侵条約なんてあってないようなもんでしょう。国際法などと綺麗なお題目を並べた所で、実際の抑止力には結び付かない」
「では…ルクソールでは、今も戦いを?」
ペルセフォネが目を見開くと、彼は声を落としつつ頷いた。
「領主たちの争いは止まりません。表向きは互いに難癖を付けた小競り合いですが…実際は隙あらば、と言った感じですかね」
帝国は建国時代から富国強兵の基本政策の下、数多くの戦争を引き起こして来たラスガルド随一の侵略国だ。
今でこそ大陸の一大国家として他国と不可侵条約を締結し国家連盟に加入してはいるが、そこに平和的意思は存在しない。
加えて長く争い続けた記憶は今なお強く両国民の心に焼き付いており、特に最前線である国境付近では大戦が集結した後も一触即発に近い雰囲気が漂っている。
そう語るとペルセフォネは眉を顰めた。
「馬鹿な…ならば何故、陛下にご報告申し上げ、公都の騎士団を動かさぬ」
「動かせるならとっくにそうしてますよ。ですがね、レディ、公都の騎士団を動かすには相応の理由がいるんです」
「理由じゃと?理由ならあるではないか。ルクソールは国防の要。そこに不穏な空気があるのなら援軍を送るのは当然じゃろう」
「……全ての貴族がレディの様な方ばかりなら、ルクソールをはじめ、帝国に隣接した城塞都市はさぞや助かる事でしょうね」
これもまた皮肉げな口調だった。
だがこれは皮肉でもなんでもない、ただの事実だ。
首都の貴族は国境で起きている事など知りもしない。またそれを知るが故に、国境砦の責任者たちも「安泰です」と報告するしかない。
下手をすれば辛うじて持っている貴族の位を剥奪されて、更に僻地へと追いやられる事になるのだから「出来ません」などとは口が裂けても言えなかった。
上級貴族にとって、下級貴族の替えなど幾らでもいる。
駄目なら他の有能な子飼いを据えればいい。駄目なら次、その次と。
そうして誰もいなくなり、どうしようも無くなった時点で互いに気付くのだ。
ああ、この国は終わった、と。
「現状が見えぬ、言えぬと言うのは…余りに、余りにも、馬鹿馬鹿しい」
互いに見栄を張っていると言うべきか。
「我々は、同じ国に生きる民ではないのですか」
濁った茶の入ったカップを見下ろし、彼は溜息の様に零す。
「そう思ったからこそ、私は御前試合に参加したのです。ルクソールの仲間たちも快く送り出してくれました。私なら…俺なら、逼迫した城塞都市の現状を陛下に直接訴える事が出来るだろうと」
優勝すれば陛下に直接御目見し、言葉を交わす事が許される。だからその場で公都からの助力を得るつもりだった。
まあ、その願いは目の前にいるこの少女に絶たれてしまった訳だが。
だが、それを恨みに思うつもりもない。
ただ単に自分の実力が足りなかっただけなのだ。
悪いのは全て自分だ。
「ああ」
こんな事を言うつもりは無かったのに、と彼は後悔した。
見れば自分を負かした少女が複雑そうに眉根を寄せているのが見える。
「ケルン……」
ペルセフォネは彼の言葉を聞くと唇を噛み、ぎゅっとカップを握り締めていた。
それを見てケールニヒの心が痛む。
「すみません、ちょっと酔っ払ったみたいです。気にしないで下さい」
こんな話をするつもりは無かった。
本来ならば勝者を讃え、楽しく飲み比べでもして1日を終えるべきだったのだ。
だが、それを成せるほどケールニヒも精神的に老成はしていない。
若さがこの場合、裏目に出た。
彼は己の誤ちに気付くと少しでも彼女の負担を軽くしようと、誤魔化すように肩を竦めおどけて見せた。
勝者の前に敗者が語るべき言葉はない。
彼女は全力で戦い勝利した人物だ。ならば彼女にこんな恨み言を述べるのはマナー違反だと飲み込んで。
しかし、次の瞬間
「相分かった。ケルンよ、お主の願いは儂が陛下の御前へ持って行く」
「レディ…?」
決意に満ちた声が響いた。
ケールニヒが顔を上げると、そこには夏色の青い瞳を気高く輝かせる少女がいた。
「我、ペルセフォネ・クレマティウス・ド・レシャンティーの名に賭けて。ケールニヒ・ド・ルクソール…卿の願いは必ずや陛下のお耳に届けると約束しよう」
しっかりとした、決意に満ちた声だった。
ケールニヒは思わず目を見開き、彼女の顔をじっと見詰めた。
どこか思い詰めた雰囲気のケールニヒに、ペルセフォネはにかりと愛嬌のある笑顔を見せ
「任せておけ」
どんと頼もしげに胸を叩いた。
ケールニヒは意外そうに首を傾げる。
「しかしレディ、その為には明日も勝たなければなりません」
「そうじゃのう。じゃが、そこはそう問題ではなかろうよ」
「勝てる自信がおありですか」
「当然!無ければ女の身で御前試合になんぞ出てこんわい」
けたけたと笑い、ペルセフォネは悪戯っぽい輝きを宿した瞳の片方をぱちりと伏せた。
「それに、一番厄介な相手はもう倒してしまったからのう。後はゆるーい消化試合じゃ」
「油断は禁物ですよ。他にも有力な騎士は幾人もいます」
「さて、それはどうかのう?少なくともお前さんより厄介な相手が、そうホイホイ出て来るとは思えんが」
「俺よりも、ですか?」
「うむ。儂の一番の好敵手は今日倒したルクソールの騎士長殿じゃ。それ以外は大した敵ではない」
「レディ……」
「いようし!そうと決まれば、しみったれた話はここまでじゃ!!」
ケールニヒが彼女の顔をまじまじと見ていると、彼女はティーポットに残ったお茶をドバドバとカップに注ぎ、ぐいっと一気に煽った。
「うぇ、ぐ…まずぅっ!!」
当然、彼女は思い切り噎せ、げほげほと咳き込みながら大袈裟に苦しんだ。
彼女なりの照れ隠しなのだろうと、ケールニヒは思った。
「やれやれ、いい話が台無しだ。レディ、ミルクはいりますか?」
「頼むぅ…」
弱々しく机に突っ伏したペルセフォネに、ケールニヒはミルクを頼むとそっと押しやった。ペルセフォネはそれを受け取ると口をつけ彼を見上げ
「ああそうじゃ、その代わりと言ってはなんなんじゃが…のう、ケルン」
「なにか?」
「儂が優勝して公国初の女騎士になれたあかつきには、ルクソールに遊びに行っても構わんか」
「それは歓迎しますが…何も無い田舎ですよ?」
「なに、儂の地元とそう変わらんじゃろ。それに腐っても最前線の城塞都市、都市を挙げての剣術大会くらいあろうて。ならば行く価値は幾らもある」
「なるほど、今度はうちの剣術大会の優勝杯を攫って行くつもりですか」
「おう、こうなったら国内の由緒ある全大会を総ナメにしてやるわい!」
「はは!なるほど、それは楽しみだ。ですが、ルクソールの騎士は強いですよ?」
「お主よりもか?」
「ええ。何人か、俺より強い勇士がいます」
「ふむ、ならば何故今回は来なかった」
「階級が足りなくて出られなかったんですよ。彼らは戦場騎士で、御前試合に出られるのは城塞都市の場合、正騎士以上と決まっていますから」
「なんじゃそれは。馬鹿馬鹿しい話じゃのう」
「全くです」
愚痴を零しながら、その日は夜遅くまで2人は互いの理想とする未来について語り明かした。
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