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Day story 62-⑳「クレマチスの戦姫」
【Scene:20「騎士バダンデール」】
「私が相手では不服ですかな、レディ・レシャンティー」
「バダンデール卿」
声を掛けられたのでそちらに視線を向けると、バダンデールはゆったりと立ったままペルセフォネに語り掛けた。それを受けてペルセフォネは肩を竦めて見せる。
「あ、いや、すまぬ。そういう意味で見ていた訳ではないんじゃ。なんと言うか…卿は先の大戦での傷がまだ癒えておらぬと人伝に聞いておったものでの。まさか出てくるとは思わなんだ故、驚いておったのじゃ」
「成程、それはお気を遣わせて申し訳ない」
「いや構わぬ、こちらも不躾に失礼した。で、失礼ついでに確認なんじゃが」
「なにか?」
「傷の具合は如何か」
対戦出来そうなのか、と問うとバダンデールは怒るでもなく悠然と笑い
「お気遣い痛み入るが、心配はご無用願いたい。これでも騎士の端くれ。両陛下、並びに殿下方の御前で我が身可愛さに棄権するくらいならば、潔く死を選びましょう」
「いや、それはちと困る」
「敵前逃亡、及び誇り無き敗北は死罪。一軍を預かる者として、部下たちにも示しがつきません」
「いやいやいや、卿が死んだら帝国は大喜び、全国民は怒り狂って儂を血祭りじゃ」
「はは、かもしれませんな。ですがそれは、レシャンティー嬢が私を敗ればの話なのでは」
「ふむ、確かに」
とは言え、従霊が使える以上、手負いの騎士に負けるつもりはない。かと言って手心を加えれば騎士の誇りを傷付けてしまう。
ペルセフォネが頭を悩ませていると、バダンデールは怒るでも蔑むでもなく、ただ穏やかに腰に佩いた剣をすらりと抜き放ち、切っ先を天に向け眼前に掲げた。
「ご心配とあらば先ずは初太刀、受けてご覧になるか。正面打ち下ろし、受けて力不足とお感じになるようなら勝負方法を立ち会いではなく、九射などの方法に変えても構いませんが」
「九射か」
九射とは的を付けた獣を放ち、動く的相手に9本の矢を交互、或いは同時に射掛けその点数を競うという古来からの決闘方法だ。
獣に直接当てるのは反則で、即失格。
互いに余程、弓に自信がなければ行われない非常に難易度の高い決闘法である。
まあペルセフォネも弓にはそこそこ自信があるし、戦女神のツェツィーレアがついているので、さして難しい対戦とは感じない。
ただ、立ち会いと違い絵面が地味になるので、観客が許してくれればと言う話しになるが。
「相分かった、ではそれでお受けしよう」
「結構」
ペルセフォネが同意を示すとバダンデールは頷いた。
「ではまず初太刀。構え」
「おう」
御前試合というより、まるで打ち込み稽古だな、などと感じつつペルセフォネはしっかりとハルバードを構える。すると
「では、参る…審判、号令を」
バダンデールは律儀に審判に声を掛けた。
それに応じて、はじめ!の声が掛かった刹那ーーゆるりと相手の手首が返り、剣が落ちてくると思った瞬間
ガォィインッ
「ぐぅっ!?」
撃鉄の高鳴りと共に、さながら高い場所から落とされた蛙か何かの如く、彼女は無様ともとれる様でその場に膝を付いた。
呻くと同時に肩に鈍痛が走る。
油断したつもりはなかったが、気付けば構えたはずのハルバードの柄が、己の肩に食い込んでいるのを目の当たりにした。
馬鹿な!!
剣線すら見えなかった。
確かに号令と同時にバダンデールが動いたのは認知したが。
ペルセフォネの膂力は異性のそれと比べても見劣りしない程度には強い。しかし相手はそれをものともせず重量級の一撃を彼女に向けて落としたらしい。
「つぅ…」
思わず情けない悲鳴が漏れる。
剣を受けた得物がビリビリとペルセフォネが感じたものと同じダメージを受けて鳴いた。
「恐れ、入ったわ」
軽口を叩いてみたものの、これは負け惜しみだ。もし仮にここが戦場で、なんの前触れもなく相対していたら自分は今の一撃で確実に脳天を割られていたに違いない。
一方で手傷を負っているはずのバダンデールは涼しい顔ーーフルフェイスの奥で見えはしないが、恐らくはーーで生真面目に告げる。
「ご無事か、ならば重畳。今のはほんの小手調べですので」
「今のでか、このバケモンめ」
「戦場上がりなれば」
「なるほど、流石。恐るべきは戦場あがり。力はオーガかトロールもかくや、と言う訳か」
知ってはいたが、よもやこれ程とは…
現場叩き上げの戦場騎士あがりは強い。それはどの国の軍隊でも言える事だが、バダンデールの力はペルセフォネの予想を遥かに超えていた。
「羨ましいまでの剛力じゃ。いかんのぅ…魔術師の家系に生まれた事を、危うく呪いそうになったわ」
思わず愚痴が口をついて出た。
ベネトロッサに限らず魔術師は魔術師界隈の力関係には敏感だが、物理職への関心は薄い。それ故、耳に入るのは有力な魔術師の情報に偏っておりーー時に物理に傾倒する者たちを「脳筋」と嘲笑う事すらある。
しかし一般的に世間の目から見れば騎士と魔術師、どちらが英雄かと言われれば十中八九、騎士が世論を攫うだろう。
ベネトロッサの次期当主であるあの若造の従霊も戦場騎士で、古今無双の勇士であったと聞く。今でこそ魔術師の傘下にある彼の騎士も、まともにやりあえば主人とは言え、ただの魔術師なぞ一太刀の下に撫で斬りにするに違いない。
「なるほどのう、これなら遠慮はいらんか」
「無論」
「ははっ」
軽く笑っては見せたものの、ペルセフォネは冷たい汗が背筋を伝うのを感じていた。
「当代の英雄、サー・バダンデールと剣を交える事になるとは、負けても自慢になるかのぅ」
「ご冗談を。負けるつもりはありますまい」
「確かに」
「なれば互いに誇りと、死力を尽くすまで」
「噂以上の高潔さよな。しかし儂は魔術を使うぞ」
「問題はございません。令嬢は魔術師。なれば存分に使われるが宜しかろう。ただし」
バダンデールは兜の奥で朗らかに呟いた。
「使う暇があれば、ですが」
「道理じゃな」
その言葉にペルセフォネはただ、苦笑いともいえぬ様子で頭を搔くのみだった。
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