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Day story 63-④ 「クレマチスの戦姫Ⅱ」
【Scene:4「作られた勝利」】
「儂はな、勝ちを譲られたんじゃよ」
祖母はそう零すとどこか遠い目をして昔日を回帰した。
ーー御前試合、組試合、決勝。
初太刀の打ち合い直後から、会場の熱気は凄まじい勢いで上がっていった。
公国の英雄と名門魔術師貴族の変人姫、これほど人々の興味関心を引くカードは今後そう見られるものではない。それが分かっていたからか。
熱狂する観客を見下ろしながら、公太子は貴賓席の椅子で軽く頬杖をつき傍らに立つベネトロッサの公子を視線だけで振り返った。
「どうだ、ベルキエルよ。この熱気、凄まじいとは思わないか」
「仰る通りかと」
「やはりこのカードにして正解だったようだ。無理に捩じ込んだ甲斐があったと言うものだ」
「……」
「ふふ、何か言いたい事がありそうだな」
公太子が面白そうに目を細めると、鉄面皮な側近はほんの僅かに眉を動かし
「何故あれを…バダンデール卿にぶつけたのですか」
静かに呟いた。
「と言うと?」
「目玉として人々の関心を引く、それは分かります。ですがバダンデール卿は先の戦いの傷が癒えてはおりません。その様な状況であの山猿の相手をさせるとは、余りにバダンデール卿に失礼なのでは、と」
「ああ、確かに。普通ならただの小娘と公国の英雄をぶつけたりなどせんよ。だが、こと今回の御前試合では必要な事だった」
「殿下が推し進めている女騎士の件ですね」
「ああ。古い慣習を打ち砕き、女人を騎士するのには相応の理由が必要だ。それもなまなかな理由では頭の固い老人たちは納得すまい」
ルクソールの騎士との試合は見事だったが、所詮ルクソールは片田舎。そんな田舎騎士との対戦で因習を覆せるかと言われれば答えは否だ。
「ルクソールの騎士、確か…ケールニヒと言ったか?彼もまた優秀な人材だな、僻地で腐らせるには惜しい。是非とも中央に欲しい所だが。どうだろう、ベルキエルよ、彼を近衛にすると言うのは」
「殿下の仰りたい事は拙にも分かりますが…ケールニヒ卿はルクソールの若き英雄、砦の要です。招聘すればあちらの士気に関わりましょう。どうかご再考を」
「分かっている、単なる冗談だよ。私も国境砦の維持にはそれなりに心を砕いているつもりだ」
「ならば良いのですが」
ベルキエルは軽く息を吐く。
公太子は優秀な人材を手元に囲う事に強い関心を寄せる、ある種の悪癖がある。
ルクソールは現在、帝国との折衝で財政も人員も火の車だと言う。
領民に愛され、砦の騎士団にも信頼されている騎士を引き抜くのは悪手だ。
何とか思いとどまってくれた事には安心したが、それでもベルキエルにはもう1つ、心の平穏を乱す要因が残っていた。
「それで殿下、本当にあの山猿がバダンデール卿に勝てるとお思いで?」
「さて、どうかな?普通にやればまず勝てんだろう。だが」
「だが?」
含みのある笑みを浮かべる公太子。
その様を見てベルキエルは嫌な予感がした。
「殿下、まさか…バダンデール卿に」
僅かに怪訝そうに眉根を寄せつつ導き出した答えを告げようとしたが、それは公太子によって遮られた。
「彼は正に英雄だな。常に公国の未来を見据えている。だからこそ泥を被る事にしたのだろう。まあ、彼にも利がある話しだからな」
「殿下!」
「そう怒るな、ベルキエルよ」
ベルキエルが僅かに声を荒らげると公太子は苦笑気味に肩を竦め
「まあ、そなたは潔癖だからな。怒りに思うのも分かるよ。だが、私はそれをしてでも…変えたいのだ」
そう言って表情を正した。その瞳は真っ直ぐに闘技場にいる女性貴族に向けられている。
知らず、ベルキエルもその視線を追う。
「変える、でございますか」
ベネトロッサの呟くと
「そうだ、私は変えたい。今のこの現状を。我が国は兎角保守的で排他的だ。国議においても懐古主義者ばかりで誰も先を見ようとはしない。このままではそう遠く無い将来、列強に呑まれて沈むだろう」
「殿下、その様な事は」
「ない、と言い切れるか?ベルキエルよ」
「…拙には分かり兼ねます。ですが、それは余りにも話を飛躍させ過ぎなのではないかと愚考致します」
戸惑うベルキエルに公太子は僅かに苦笑した。
「飛躍か、そうかもしれん。だが、或いは…そうではないかもしれん」
「殿下は何がなんでも民意を変えるおつもりなのですね、この機を利用して」
「ああ、そうだ。そうしなければならないのだよ、ベルキエル。未来を見据えるのであれば、国の在り方、思想そのものを今とは大きく変えねばならない。その為には、ある程度センセーショナルな事件が必要なのだよ。誰もが認めざるを得ない、特別な変革の切っ掛けが」
「…左様にございますか」
公太子の言葉にベルキエルは僅かな黙考の後、静かに呟いた。
納得は出来ない、彼自身もまた公太子が嫌う保守派の筆頭だ。だが、自分の仕える主人がそれを求めるのであればその様にせねばならない。
それが忠義、忠誠と言うのもだ。ただ、彼の頭にはある懸念があった。
「殿下のお考えは理解致しました。ですが、なれば1つ…拙が憂慮している事をお聞き願いたい」
「何かな?」
「拙が思うに…バダンデール卿は良いでしょう、彼は英雄であり騎士であり、殿下の忠臣。国の為には命すら惜しまぬ忠義の徒です。故に殿下のお考えに賛同し、自らの名誉を捨ててでも従うでしょう。ですが…あの山猿は違います。あれに殿下の崇高なお考えを理解出来るとは…到底思えません」
「何が言いたい?」
「…もしあれが殿下が裏で手を回したと知れば、必ずや反発する事でしょう」
「だろうな。レシャンティー嬢もまた他の女人の例に漏れず政治に疎い」
公太子は事もなげに笑った。
まるで、なんだそんな事かと言わんばかりに。だがベルキエルは気が気ではない。
「笑い事ではありません、あれは必ず殿下に牙を剥きます。これは八百長試合だ、と声高に叫び、不敬にも殿下を糾弾するに違いありません」
そうなれば公太子も無傷とはいかない。
バダンデールは国民の人気も絶大な英雄なのだ。その様な人物に八百長を指示したとなれば、国民の怒りも相当なものになる。
下手をすれば民意を敵に回す可能性もある。加えて公太子には異母弟にあたる公子がいた。
今でこそ公太子の地位は磐石だが、数年前までは苛烈な後継者争いが行われていたのだ。この様な不正が明るみに出ればそれを機に、弟公子派の勢いが増す事も往々にして有り得るのだ。
ここまで血で血を洗う政争を繰り広げて来た身としては看過出来ない。だが、ベルキエルの心配を他所に公太子は意味ありげに笑った。
「心配ない。その点については、もう手を打ってある」
「なんと」
公太子は眼下を眺めながら弓なりに口角を歪めた。
「彼女、政治には疎いが…改革については中々に強かだ」
「…殿下?」
「私が思うに、存外腹を割って話せばお前とも気が会うのではないか?」
「お戯れを。あれと気が合うなどと、背筋が凍ります」
「はは、そうか。残念だな、彼女ならお前に似合の伴侶になると思ったのだが」
「殿下!」
「怒るなよ、ベルキエル。ほんの…冗談だ」
「はあ…」
なんだが上手くはぐらかされた気がする。
僅かな胃痛と確かな頭痛を感じながら、ベルキエルは眼下の試合場に複雑な思いで目を落とした。
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