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柘植の言ったとおり、最上階のデラックスツインルームに案内された。眼下には海が一望できる。
ここで働き始めた頃、ベッドメイクや清掃に入るたび、こんな部屋に泊まることなど自分には生涯ないのだろうと思っていたものだ。
「綺麗やなあ~。家族と来た時はさすがにちゃう部屋やったからな、こんな景色見れて嬉しいわ」
窓一面、空と海の青。そんな景色に、リョウの青みがかった髪が重なる。輪郭がぼやけて、溶け込んでしまいそうだ、とアヤは思わず手を伸ばした。
「リョウ」
「ん?」
「もっとこっちおいで」
「うん」
特に疑問も持たず、素直に笑顔で近寄ってくるリョウを、アヤはまるで捕獲するかのように掻き抱いた。
「んもぉ、もう我慢しきれへんって?」
ふふっ、と笑う温かな息づかいが、軽やかで少しおどけた声をアヤの耳へ運んでくる。リョウの何もかもが、いつの間にかアヤにとって心地よいものになっていた。
「ん……」
「ん、そうでもないみたいやな。どしたん?」
「少し、疲れたかな」
窓と向かい合うように、絶妙な弾力のベッドへと並んで腰を下ろした。
「道中長かったしなあ」
うんうん、と頷き、リョウは持っていたペットボトルの水を飲んだ。
「ちょうだい」
「ん」
アヤもリョウのボトルを受け取り、もうぬるくなった水を喉に流し込むと、あっという間にボトルは空になってしまった。
「貸して」
リョウはアヤから空になったペットボトルを受け取ると立ち上がり、当たり前のように室内設置のゴミ箱へ捨てに行った。
「……今日って、リョウの誕生日なのに」
「うん?」
「なんだか俺のことばかりになってない?」
疑問に思うように首を傾げるアヤを見て、リョウは満足げに微笑んだ。
「そう思ってくれてるんや。でもそうやないで。『伴侶の里帰りに同行すること』、これが俺のしたかったことやから」
「里帰り……?」
アヤは首の角度をさらに傾け、よくわからないといった顔をしている。
「そ。ここがアヤの実家みたいなもんやん」
そう言われればそうなのかな、とアヤは首の角度を直した。
「それじゃあ別に、俺の誕生日で良かったんじゃ」
「アヤの誕生日は家でゆっくりしてたいんやろ? やから俺の誕生日にしてん。俺だって旅行楽しんでるで。思い出の地やし。な!」
「うん……」
まだなお釈然としないアヤの表情を見かねたのか、リョウは困ったように眉尻を下げて笑うと、アヤの肩に手を回した。
「お節介かもしれんけど、俺アヤに、これまでの縁とか、ルーツっていうんかな、そういうのも大事にして欲しいなって思って。帰るところもあるんやで、っていうのも……」
根っこの部分が欠落しているアヤにとって、リョウの言っていることは頭では、一般論としては理解できる。だが自分のこととして置き換えると何もかもがピンとこない。それでも、リョウがアヤのことを思い遣る心は充分に伝わった。
「……ありがとう」
「ううん。これは俺のわがまま旅行なんやから、アヤがお礼言うことないんやって。ちょっと休憩したらご飯いこな!」
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