ベーグルの穴

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 眼の前のテーブルには白い陶器のお皿があって。その上には卵とレタスを挟んだベーグルが乗っている。ベーグルの真ん中には、ドーナツと同じように真ん中にぽっかり穴が空いている。その穴は「穴という何もないものがある」のか「あるものがなくて穴になっているのか」とどちらなのかと考えた。  そんな小学生みたいなくだらないことを考えたのは、自分が最近、恋愛に悩んでいるからだろう。もう2年も付き合っているのに、まだミクと結婚に踏み出せない自分がいる。心になにかぽっかりと穴が空いているような気がする。好きだし、性格も合う。話をしていても楽しい。でも、なにかが足りたい。この穴は最初から空いていたのか、それとも、知らない間に穴ができたのか。ベーグルの穴を見ても、その答えはでない。  ベーグルを初めて食べたのは、もう20年も前のことだ。僕は高校3年生で、ニューヨークを舞台にした小説を読んだ。コロンビア大学に通う学生が本の朗読をするアルバイトの話。田舎の高校生を「いってみたい」と思わせるには十分な物語で。 「世界の中心地ニューヨークにいってみたい!」とコンビニのバイトで集めたお金を貯めて、ニューヨークに向かった。もしその物語がモンテネグロを舞台にしていたものなら、今頃、バルカン半島にいて「アドリア海の秘宝!」みたいなことを叫んでいたかもしれないけれど、幸い、その本はニューヨークが舞台だった。  今は「ニューヨークが世界の中心」という人は減ったかもしれない。カリフォルニアも人気だし、そもそもアメリカ以外の国も人気だ。ただ、1990年代の終わりは、まだニューヨークが世界の中心だった。少なくとも田舎の高校生にとっては。その頃のニューヨークは911の事件で破壊されたワールドトレードセンターが顕在だったし、自由の女神も今以上に輝いていた。もしかすると、ニューヨークの凋落は、自由自体の価値が昔よりも落ちたからかもしれない。  高校の先生に「ニューヨークにいってきます」というと「俺は聞いていないからな」と言われた。当時は「なんでそんなことを言うのだ。応援してくれたっていいのに」と思ったけれど、今思い返すと当たり前の反応だろう。受験生で、しかも重要な夏休みの前にニューヨークに1人でいくなんて、狂気の沙汰。普通の高校教師なら応援してくれない。むしろ、止めてくれなかっただけ優しかったのだろう。今ならそう思う。
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