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『峯岡さんて誰にでも優しくていい人ですよね。きっと日向さん、大切にされてるんだろうな』
隼人は、誰かに見られていないか確かめるようにすばやく辺りをみまわし、千里から受けとった紙幣を小さくたたんでスラックスのポケットにしまった。そのまま、一緒にコーヒーも飲まず、さっさと廊下をひきあげていく。
しょうがない。
しょうがなくて、可愛い人。
あのお金を使う瞬間に、隼人が自分のことを思い出してくれたらそれでいい、と千里は思う。自分のけなげさを思い出してさえくれれば、安いものだ、とも。
そして、彼の心をお金で縛ろうとしている自分に、どこかでぞっとするのだ。
千里の母親は、きゃりあうーまんだった。
「ママはね、総合職だからOLじゃないの。キャリアウーマンなの」
そういわれて、五歳の千里は口の中で、きゃりあうーまん、とくりかえした。
そしてその年、千里の両親は離婚した。当時の千里にはまだ事情がよくわからなかったが、父が車に荷物を積み込み、大きな黒いスポーツバッグを抱えて出て行った日。千里は母とぎゅっと手をつないでそれを見送った。
二十坪もない建て売り住宅の玄関前の駐車場で、ワンボックスカーのバックドアをぎりぎりいっぱいにはねあげて、父は荷物を載せていた。それを玄関まえのコンクリートの板の上に立って、母とふたりでなすすべもなく見守っていた。
「ねえ、千里、あれやって」
母が、千里の手をきゅっと握ると囁いた。
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