1. 記憶はどこに宿るのか

4/4
前へ
/4ページ
次へ
 弱火に揺られ、フライパンの中身がことことと音を立てている。蓋を開けると蒸気と共にぶわりと香りが広がり、何故だか心臓がひとつ、とん、と揺れた。  まさか、な。深く息を吸って、心臓を落ち着ける。  フライパンの中の鶏もしめじも、照りのある褐色に染まっていた。もう味は染み込んでいるだろう。コンロの火を止めた。  完成した創作料理を、真っ白な深皿に盛り付ける。みそ汁は作るのをさぼったから、白米とおかずだけの質素な夕食になった。  手を合わせると、いただきますと心の中で告げ、箸を取る。まずは、おかずを口に運んだ。  口に含んだ鶏肉を噛んだ途端、それに染み込んだ香りが鼻を抜ける。  そして、心臓がパタパタと駆け足を始めた。  嘘だ。  どうして。  錆びついてしまったかのように動かない顎で何とか咀嚼し、ごくりと飲み込む。  頭の血管が、濁流となって血液を運んでいる。どくどくと奔る、脈を感じる。  あの人の作る味だった。  盛られた皿は真っ白で、あの頃とは全然違うのに。  見た目だってそうだ。材料だってそうだ。うちにある物だけで、適当に作ったっていうのに。  それなのに、どうしてあの人の作った料理の味がするんだろう。  いいや。あの人の作った料理じゃない。  あの人と一緒に作った料理の味だ。  あんなにも無理やり忘れようとしたのに。身体に馴染んだ料理の勘も、捨ててしまったはずなのに。  なのに、どうして。  脳裏に、隣で野菜を切っていた薄い手が蘇る。味見をする横顔。つまみ食いをした時の吊り上がった眉。それに、理想通りの味になった時の、満足そうに下がった目尻。  ああ、忘れていたはずなのに。忘れようとしていたはずなのに。どうして。どうして思い出してしまうんだ。どうして、作ってしまったんだ。一体、どこで覚えていたんだ。  口の中に、しょっぱさが広がる。  気付かないうちに、頬が濡れていた。 (了)
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加