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弱火に揺られ、フライパンの中身がことことと音を立てている。蓋を開けると蒸気と共にぶわりと香りが広がり、何故だか心臓がひとつ、とん、と揺れた。
まさか、な。深く息を吸って、心臓を落ち着ける。
フライパンの中の鶏もしめじも、照りのある褐色に染まっていた。もう味は染み込んでいるだろう。コンロの火を止めた。
完成した創作料理を、真っ白な深皿に盛り付ける。みそ汁は作るのをさぼったから、白米とおかずだけの質素な夕食になった。
手を合わせると、いただきますと心の中で告げ、箸を取る。まずは、おかずを口に運んだ。
口に含んだ鶏肉を噛んだ途端、それに染み込んだ香りが鼻を抜ける。
そして、心臓がパタパタと駆け足を始めた。
嘘だ。
どうして。
錆びついてしまったかのように動かない顎で何とか咀嚼し、ごくりと飲み込む。
頭の血管が、濁流となって血液を運んでいる。どくどくと奔る、脈を感じる。
あの人の作る味だった。
盛られた皿は真っ白で、あの頃とは全然違うのに。
見た目だってそうだ。材料だってそうだ。うちにある物だけで、適当に作ったっていうのに。
それなのに、どうしてあの人の作った料理の味がするんだろう。
いいや。あの人の作った料理じゃない。
あの人と一緒に作った料理の味だ。
あんなにも無理やり忘れようとしたのに。身体に馴染んだ料理の勘も、捨ててしまったはずなのに。
なのに、どうして。
脳裏に、隣で野菜を切っていた薄い手が蘇る。味見をする横顔。つまみ食いをした時の吊り上がった眉。それに、理想通りの味になった時の、満足そうに下がった目尻。
ああ、忘れていたはずなのに。忘れようとしていたはずなのに。どうして。どうして思い出してしまうんだ。どうして、作ってしまったんだ。一体、どこで覚えていたんだ。
口の中に、しょっぱさが広がる。
気付かないうちに、頬が濡れていた。
(了)
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