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そういえば、自動車学校で公道を走る教習の時も、「何番目の信号を曲がってください」と言われるのが嫌で仕方なかった。「何番目」って、え?目の前の信号から数えて?その先の信号から数えて?こうして文章に書くと、自分の阿保さを鼻で笑いたくなる。目の前の信号からに決まっている。しかし、運転しながらだと、どうしても混乱するのだ。またすんなり分かったら今度は、曲がることを忘れそうになる。だから試験の時は「この信号ですね」と必ず聞くようにした。そしたらフィードバックで「どこで曲がるのかちゃんと聞いておくようにしてね」とちょっと怖い顔で言われた。
物語の説明が書けないのも、その現象に似ているのかもしれない。
分かっている。頭にある。でもいざ言葉にしようとすると、ばら、となくなってしまう。
あれに似ている。食器用洗剤のCMで、油に洗剤を落とすと一気に分解するやつ。
そもそも、自分の物語を「説明」するという行為に、しっくりこないものがある。CDを買うと、背表紙に紙がついている。それにそのCDのコピーや説明が書いてあるやつ。あれを自分で書くミュージシャンがいるだろうか?
とか言いつつ、1人だけ知っている。それはそれは抽象的で良い文章だった。それ自体がもう詩なのだ。しかも、しっかり収録されている歌の歌詞も織り込んでいて。インディー時代のCDで、書いてくれる人がいなかったから自分で書いた、と言っていた。カッコいい。
作品の説明は、もっと理的に筋を認知している他人にやってほしい。
自分でやるなら、そんな「わかりにくい」説明がしたいのだろう。
しかし妙な分解癖が邪魔をして言葉にすらならない。と、話は元の地点に回帰する。
紙で図にするとか、とりあえず登場人物の名前と単語を散らばすとか、そういう工夫が必要なんだろう。分かってるならそこからやれ、という話だ。
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