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1.宣戦布告はなめらかな口溶けのように
「もう行くの?」
眠そうな目をこすりながら、ベッドから体を起こした麗美が一糸まとわぬ姿で尋ねた。麗美お気に入りの置き時計は、2月9日午後10時を指していた。
「ああ、明日早くて。この時期はインフルエンザの患者が多くてさ」
聖史郎は着替えを終えながら、姿見に映った彼女に向けて適当な嘘をついた。インフルエンザの患者が多いのは本当だが、翌朝に予定があるわけではなかった。
「次いつ会える?」
「再来週……あたりかな」
「そう。じゃ、それ持ってって」
麗美はテーブルの脇に置かれた小箱を指さした。
「それは?」
「ハッピーバレンタイン」
「開けていい?」
「もちろん」
手の中に収まるくらいの小さな小箱。紙とは思えないほどしっかりとした作りで、手触りの良いリボンが巻かれていた。
バレンタインと言うからには、当然チョコレートだろう。聖史郎はそう思った。しかし、チョコレートかと思われたそれは、見事に聖史郎を裏切った。
電球色の間接照明に照らされ、艷やかに輝いていたのは、黒の万年筆だった……。
「おっ!」
思わず声がほころぶ聖史郎。
「仕事で使うでしょ? それに、それなら奥さんにもバレないはず。箱は捨てちゃってもいいわよ」
「ありがとう。いつもすまないな」
着替えを終えた聖史郎は、麗美を抱き寄せてキスをする。
「首輪のほうが良かったかな」
麗美は聖史郎の首に両腕を絡めながらつぶやいた。
「……いつまでも、待ってられないからね」
「分かった。だからいい子にしててくれ」
優しく微笑みかけた聖史郎は、そのまま部屋を後にした。麗美は視線だけで聖史郎を見送ると、枕元の携帯電話を手に取り、ロック画面を外した。
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