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会釈を交わすと鈴木達一行は人事部長の後に続いて商談室を後にした。
斗真は先刻名刺交換したにも拘わらず大急ぎで再び自分の名刺を取りだし、名刺の裏に自分の携帯番号を走り書きし皆の後を追う。
鈴木達は通路で軽い雑談をしながらエレベーターの到着を待っていた。
この時斗真は誰にも見られず確実にこの名刺を鈴木に渡すことだけを考えていた。
─こっそり手渡すしかない。
ポンという電子音が響きエレベーターの到着を告げる。
タイムリミットは目前だ。
「あの、これ」
斗真は鈴木に近づき手探りで名刺を鈴木の手元に近づけた。
……つもりだった。
「おや?」
「え?」
どういうわけか鈴木ではなく加賀美が一瞬反応して足を止めた。
斗真が慌ててしっかりと手元を見ると、名刺の角が加賀美の手の甲に突き刺さっている。
斗真は一瞬にして青ざめ、フリーズした。
─え、嘘。
「どうかされましたか?」
「いえ、何も。本日はありがとうございました。それでは失礼致します」
斗真の固まった右手の指先からするりと名刺が瞬時に引き抜かれ、加賀美は挨拶をしながら何事もなかったかのように極自然にそれをスラックスのポケットへすっと入れた。
─いや、ちょっと待て。それはアンタに渡そうと思ってたんじゃないぞ。
まさか商談相手に帰り際携帯番号を書いた名刺をこっそり手渡ししただなんて事実は誰にも知られたくない。
しかも男である自分が男に、だ。
ここでちょっとでも騒ぎを起こしたら自分の色々と面倒な部分が露呈してしまう。
ほんの数秒の間に色々なことが頭の中を駆け巡った。
自分に今できることは何もない。
「ありがとうございました……」
自分のしでかした大きなミスに胸中は落胆とパニックを起こしていた。
─どうしよう……。
斗真は人事部長と共にエレベーターに乗り込んだ鈴木達を扉が閉まるまで会釈し見送った。
斗真が顔を上げると人事部長が満足げに微笑んでいた。
「面接にいらした木下さん、彼女いいねぇ。採用の方向でマンパワーさんに後で連絡入れといてね」
「あ、はい」
なんで寄りによってマンパワーの社長に自分の名刺を手渡してしまったのだろうか。
名刺交換は最初に済ませたので、別れ際に再び名刺をこっそり渡すなんて不自然としか言いようがない。
極めつけは自分の携帯番号をあの名刺に書いてしまったことだ。
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