八咫烏(やたがらす)の正しい説明 御紹介

2/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
 素戔嗚尊が新羅曾尸茂梨(そしもり)(の方面「歴史年代の精査推定では、伊弉諾尊伊弉冉尊の奈良笠山への移動が2260年程前と考えられ、天照大神大日留女牟千5歳の時、那古素戔嗚尊が産まれたとして20歳位で桜井市出雲港から出立とすると、導き出される年代は2245年程前。紀元前226年位。秦国では紀元前227年荊軻による始皇帝への反逆が起こり、秦の臣達は、朝鮮半島北部に避難していたと考えられます。新羅は紀元前57年建国のゆえに、後に言う新羅国曾尸茂梨方面」)へ行かれた際、「帰り」に御伴した人々が八咫烏(やたがらす)の起源であり、歴史に現れるのは、神武天皇が熊野より耶馬台国入りする際に御伴をした時と、味耜高彦根尊(迦毛之大御神)が神武天皇を奈良県葛城鴨から京都府下賀茂まで案内した際。後にその御伴の姿を八咫烏と言いました。  八咫とは、秦の事であり、烏とは鉾徒、警察または諜報のことを言います。  八重事代主尊(父大国主尊、母神屋楯姫尊)の兄弟  味耜高彦根尊(父大国主尊、母多紀理姫尊)(迦毛之大御神とも、賀茂建角身命とも呼ばれます。娘賀茂玉依姫夫大山咋神、孫賀茂別雷神)は、  『八重事代主尊の次の耶馬台国王に内定していました』が、邇邇芸尊の孫である神武天皇が九州より帰還して来られたので、皇統位の権利を神武天皇に譲り、京都の下鴨へ御隠居なさいました。  爾来、下鴨神社は京都最古の神社であり、熊野、葛城、京都を結ぶ神社です。  大山咋神の父は大歳神、母は天知迦流美豆姫神。  大歳神の父は素戔嗚尊、母は神大市姫神(大歳御祖神)であり、丹とは天津神のことです。  神大市姫神の父が大山祗神です。  大歳神は、大年とも書き、この所以、神道にあつて位の高い神とされています。  素戔嗚尊(父伊弉諾尊母伊弉冉尊)―妻神大市姫神(父大山祗神)  大歳神―妻天知迦流美豆姫神  大山咋神(丹塗り矢)―妻 賀茂建角身命「下鴨神社祭神」娘賀茂玉依姫  賀茂別雷神「上賀茂神社祭神」  著作 日本国僧侶
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!