6-9 朝の目覚め

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 その日は慎一に言われた通り、真智子は近くのクリニックで診てもらい、流行の風邪と医師に診断され、二、三日で治ると伝えられた。マンションに戻ると、設置されたばかりのグランドピアノのことが気になり、真智子は引き寄せられるようにピアノの前の椅子に座った。ピアノを前にすると不意に高校の音楽室で慎一と一緒にピアノに向かっていた日々を思い出した。真智子は手慣らしでドビュッシーの『アラベスク』を弾いた後、処方された薬を飲み寝室に入ると寝衣に着替えベッドに入った。目を瞑り、これから慎一と一緒に暮らすんだと思いを実感しながら真智子の胸は嬉しいようなくすぐったいような思いで一杯になるのだった。 ―そして、夕方には慎一が帰ってきた。 ベッドで休んでいた真智子は玄関まで出て慎一を迎えると、病院で診察してもらったことを報告した。 「顔色が少し良くなったみたいで良かった」 買い物してきた食材を冷蔵庫に入れながら、慎一は言った。 「ごめん。ほんとうは私がしないといけないのに」 「いいよ。自炊には慣れてるから。でも、元気になったら、真智子にしてもらおうかな。父からもらっている生活費の中から食費分ぐらいを真智子に預けるよ」 「ありがとう。だけど、学生の間はお互い臨機応変にしようね」 「じゃあ、今日は真智子に栄養をつけようと思って、うなぎ弁当を買ってきたんだ」 「わっ、嬉しい。うなぎ、大好物だよ」 「ほんとうは昨日、一緒に食べに行こうと思っていたんだけど、真智子が急に倒れちゃったからさ。今すぐ食べる?」 「うん」 「肝吸いも今から用意するね」 そう言うと慎一はお湯を沸かした。 「こんな風にふたりきりで食事できるなんてなんだか不思議な気分だね」 「これから毎日、食卓を囲めるといいね」 「もちろん。朝食はこれからいつも一緒よ。お料理の腕、上げないとね」 「少しずつでいいから頑張って。期待してるよ」 「そのうち、まどかとか修司を呼んで小さな演奏会ができるといいね」 「そうだね」 慎一も真智子も食事をしながら、ふたりきりで落ち着いて話せることの喜びを噛み締めていた。
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